山の手七福神巡り

新年が明け、3日に「山の手七福神巡り」をした。西武新宿駅まで行き北口を出て職安通りを東に向かって歩き始めた。通常、西武新宿駅の北口は使わないと思うが、10年ほど前、人間ドックを受けるために、同じように職安通りを明治通りまで歩いたことが何度かあった。

新大久保が近いせいだろうか、ハングルの看板がいくつも並び、すっかりコリアンタウン化している。正月の売り出しだろうか。朝鮮食品のスーパーの前に50人ほどの韓国人の人だかりができていた。午前10時くらいだから、あまり人通りもなく店も開いておらず、殺風景なビルの日陰を東に向かって10分ほど歩いた。東西に走る明治通りの100m程手前を右折するとすぐ稲荷鬼王神社がある。鬼王を冠する神社は、全国でもここだけで、「唯一の、、、」とあちこちに説明書きがあった。

同社頒布資料によれば、1653年、徳川家綱の時代に誰が勧請したかは不明だが、大久保村の氏神として稲荷神社が建てられ、1752年、当地の百姓である田中清右衛門が、旅先での病気平癒の感謝から、熊野より鬼王権現を勧請し、後の1831年に稲荷神社と合祀し稲荷鬼王神社となったとある。節分時、鬼を春の神として「福は内、鬼は内」と唱えるそうだ。

鬼王権現とは「月夜見命、大物主命、天手力男命」の三神であり、稲荷鬼王神社の祭神として祀られている。また、平将門の幼名「鬼王丸」が由来、という伝承もあるそうだ。ここには恵比寿様が祀られている。平将門といえば神田明神だが、最近読んだ本で、将門が都での出世を試みたものの田舎者と蔑まれ成功しなかったことを知った。私も田舎者だったからか妙に親近感がわいた。

職安通りをさらに東に向かって15分ほど歩くと、厳嶋神社(弁財天)、法善寺(寿老人)、永福寺(福禄寿)が隣在している。ちょうど獅子舞が厳嶋神社の前の交差点を望む広場で舞われており見物した。獅子が親や親に抱かれた幼子の頭を噛むようにして邪気を払ってくれる。その後を恵比須様が打ち出の小槌で頭を打つようにして回る。子供のころは、獅子舞が家に入ってくると、思わず尻込みしていたことを思い出す。

そこから大江戸線で一駅、経王寺(大黒天)、さらに一駅で神楽坂の善国寺(毘沙門天)。そのあとは新宿御苑前まで行って太宗寺(布袋尊)で七福神巡りは終了。
いやはや疲れた。16,000歩くらいは歩いた。七福神巡りをしたからといって、特別なことは何もないのだが、寺社にはこんなにも様々な神仏が混在しているのかと感心してしまった。世界情勢はここにきて一層不穏になってきたが、いい年であってほしいと願う。

本年も、引き続きご愛顧のほど宜しくお願い申し上げます。

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