帰郷

先月、叔父が亡くなり、久々に帰郷して通夜と葬儀に参列した。母の弟だが、私とは15歳しか離れていない。ソース顔をした映画スターのようなイケメンで、背丈も180㎝近くあり若いころは随分もてたらしい。ただ、母方の男性は、みな若禿で叔父も30歳前にはかなり髪の毛が薄くなっていた。

私が高校3年生の時に、突然、私の部屋に入って来て「どうだい勉強の方は。捗っているか。受ける大学は決めたのか?」「そうか、〇〇大か。頑張れよ」ほんの少しの時間だったが、優しく励ましてくれたのを覚えている。叔父が、私の部屋に来たのはこの時限りだったが、叔父との関係は、「年齢が少し離れた兄」という感覚に近かった。

葬儀会場には、若いころの写真が並べられていたが、やはり惚れ惚れするほどのイケメンである。1975年に封切られた『青春の門』に出ていた20代の田中健のような顔で、少々いかり肩だから、細身の体にスーツがよく似合っていた。

私が大学を出て働くようになってからは、冠婚葬祭くらいしか叔父と会う機会はなかったが、一度、祖父母を訪ねて叔父の家を訪れたことがある。山間部にあり母の実家でもある祖父母の家は、既に他人の手に渡り、祖父母は、町中の叔父の家に身を寄せていた。祖父母の家をその土地の名称をとって“伊豆木(いずき)”と読んでいが、伊豆木へは、小さなころから母の里帰りの際に連れられて年に2回程は行っていた。大きな屋敷の農家で、国道沿いで菓子屋を営む私の生家とは全く趣を異にしていた。静かにゆったりと時間が流れ、私の大好きな空間がそこにあった。

叔父の家で久々に祖父母と話をたが、これといってやることがなくなった二人は、数年の後、すっかり呆けてしまい、施設に2人仲良く入ったと聞いたので訪ねてみたが、私のことはもう分からなくなっていた。大好きな二人だったが、二人とも90歳を超えて長生きしてくれたから大感謝である。

叔父のすぐ上の姉の叔母にも葬儀で会えるかと期待したが、体の具合が悪く外出ができないと聞いた。3年間、コロナで帰郷出来なかったこともあり久々に親戚に会えたが、出て来られない人ばかりで人数が大幅に減ってしまった上に、田舎はまだ通夜に飲食ができず、葬儀の後の精進落としも酒なし。献杯もなく寂しい葬儀になった。

叔父は、物静かで、あまり煩いのは好きじゃなかったし、酒も飲めなかったからこれで良かったのかもしれない。

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