モーツァルトの手紙

以下は、岩波新書の『モーツァルトの手紙』(柴田治三郎編訳)からの抜粋である。

父へ(在ザルツブルク)へ

これが私の予約者全部のリスト(174人 筆者付記)です。私一人でリヒターとフィッシャーを合わせたよりも、30人分も多く予約を取りました。今月17日の最初の発表会は、うまく行きました。広間はぎっしり一杯でした。(後略)[ヴィーン、1784年3月20日]

プーホベルクへ(在ヴィーン)へ

(前略)私の運命は—-と言ってもヴィーンでだけですが—-残念ながら私に背を向けて、私がいくら稼ごうとしても、何ひとつ稼ぎにならないのです。私は2週間も名簿をまわしましたが、(発表会 筆者付記)申込者はスヴィーテンただ一人です。(後略)

[ヴィーン、1789年7月12日-15日]

たった5年でモーツァルトの人気は下落してしまった。今でこそモーツァルトの音楽は、普遍性を持っているが、当時は流行歌のように時代に流されたということだ。ずいぶん贅沢な話である。

モーツァルト31歳の1987年5月28日に父レオポルトが他界する。モーツァルトへの心理的影響は計り知れなかったといわれているが、息子が父親に哀願するように3~4日おきに手紙を書く西欧的父子関係は私には到底理解できない。父親離れしない息子と、息子離れしない父親のような関係である。羨ましいような気もするが哀れに感じてしまう。しかし、このステージパパのような父レオポルトがモーツァルトという天才を世に出したのだから、世界のクラシック愛好家は感謝して余りある。

モーツァルトの没年前の4年間は、妻コンスタンツェの湯治費用や自分の浪費壁で貧窮する。それ故、織物商のプーホベルクへ何回も借金の無心の手紙を書いている。私の未来は幸運で満ちている。近々大金が入るが、それまで苦しいので用立てて欲しい、といった典型的な言い訳だらけの無心が多く誠に惨めである。もし、モーツァルトに金と仕事をすべてマネージメントできる有能なマネージャーが付いていたなら、音楽に集中できただろうし、35歳という若さで死ななくて済んでいたかもしれない。この時代にそんな職業はなかったので、父レオポルトがその役割を演じたが、父子関係は次第に壊れてしまい、ついに和解できずに終わってしまった。

モーツァルトは、頭の中に溢れてくる音を楽譜に置いていっただけで、考えて作曲していたわけではないといわれている。だから楽譜に修正の後がない。映画「アマデウス」にもサリエリがそのことに驚くシーンがある。35年という短い生涯だが、これほど沢山の楽曲を残して音楽家はいないのではなかろうか。まさに天才である。

私は、感性で音楽を感じるというより、どうしても文字で理解したくなる。ゴッホの手紙を読んだ時も本稿で書いたが、正直、手紙は繰り返しが多く飽きてしまう。そういう時は適当にとばして読めばいい。手紙を読み終わるとその人物の像があれこれ浮かんでくる。その余韻をしばらくは楽しめる。この時間が嬉しい。

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