一生の趣味

音楽は一生の趣味だろう。クラシックでもジャズでもロックでも、もちろん歌謡曲でもいい。音楽とともに人生を送れたら幸せだ。私は、コロナ禍の中でクラシックを少しだが聴くようになったが、何故、もっと早く興味を持たなかったのだろう、と自問自答している。

その原因は、学校の音楽の時間にあったかもしれない。考えたら、音楽の時間に音楽に感動した、という覚えがない。小学校の時は、年配の女性の先生で大変熱心な方だったが、何時も、何かができる、できない、といった技能を問われるような授業だった。

例えば、微妙な音の高低を毎回授業で判別させられた。手を前に出して水平に保ち、ピアノやオルガンの音を聞いて、一回目の音より高いと上げ、低いと下す。間違うと先生の厳しい目線が飛んでくる。微妙な音の高低など殆ど判別できない私には、苦痛としかいいようがなかった。

リコーダーの吹き方についても厳しかった。吹き方というより音色の出し方といった方がいい。舌の先を少しだけ吹き口に当て、ビブラートを掛けたような音を出すように繰り返し指導された。「ビュー」ではなく「ヴュー」といった感じである。確かにその方が音色は奇麗だが、なかなか上手くできず、やはり苦痛であった。

運動会が近くなると、6年生で鼓笛隊が編成され、音楽の時間に奏者の選抜があった。やりたい楽器を選べるわけではない。先生が、決めていく。鼓笛隊の前方を陣取る大太鼓や小太鼓などなら格好はいいが、最後尾に付くリコーダー隊はその他大勢といった感じになる。私は、リコーダー隊のひとつ前のピアニカ隊だった。

そもそも、ピアニカという楽器は、特別な訓練などしなくても誰でも鍵盤に親しめる安価な楽器として小学生用に開発されたのだろう。発展性がないから名手も生まれない。私は、ハーモニカやリコーダーの方がずっと好きだ。発展性もあるし、第一、音色がいい。結局、鼓笛隊は、音楽性よりも一糸乱れぬ行進の美しさを求められた。何度も行進の練習をさせられ、音楽のことは後回しだった。

結局、小学生の時に音楽の授業で感動するということはついぞなかった。ただ、一度だけ、6年生の時に下伊那地方の合唱コンクールに出たことがあった。他校の声の素晴らしさに驚いた。ああいうのを感動というのだろう。

だから、音楽が嫌いだったわけではない。以前、この稿でも書いたが、私が通っていた小学校では、朝、休み時間、給食、掃除、下校、すべてがクラシックの名曲で始まりと終了を知らせていた。あれだけ繰り返し聞かされると流石に馴染んでくる。馴染んでくると、どんどん良くなってくる。芸術を味わうキーワードは反復である。キルケゴールのいう通りだ。

勝手な言い方だが、音楽の時間に、バッハやモーツァルト、ベートーベン、ショパンなどの音楽を聴くことの楽しさを少しでも味わえたら良かったのにと思う。先生の所為にしたような書き方をしてしまったが、そんな授業もきっとあったに違いない。ただ、私の方に受容力がなかったのだと思う。

私の生家は菓子屋を営み、およそ文化、芸術には縁もゆかりもなく、家には本も音楽もなかった。娯楽はテレビのみ。野に出て遊び、野球ばかりやっていた。もちろん、親が悪いなどとは思わない。よく働くまじめな両親を尊敬もしているが、家庭環境の影響の大きさをしみじみ感じる。

人生の終盤近くになってしまったが、最近、名曲アルバムを録画して聴くようになった、たった6分の番組だが、旅への抒情も誘いいい番組だ。教養を身に着けるなどということは、もう考えなくていい。承認欲求など全くない。これからゆっくり、ただただ楽しめばいいだけだ。旅を楽しむのと同じである。

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