第1話 機上にて[LADAKH]

早朝、デリー空港を離陸した飛行機は、ラダックの中心地レーに向かった。
眼下には、レースのような白いモヤがうっすらとインド平原にかかっていた。草木のほとんどない荒涼とした高山地帯上空にいたるとモヤが晴れ視界がスッキリ晴れわたってきた。ところどころに見える氷河。ある氷河は、末端の氷が消滅し、溶けた氷河が河の水源になり、U字谷を流れている。

ラダック手前の山脈を流れる氷河

インド文化圏からチベット文化圏への境界の上を飛んでいるのだ。

ラダックとは、チベット語でラ(峠)をダク(越える)という意味だそうだ。しかし、具体的にどこの峠のことを指すのかは、分からない。西チベットからラダックへ来る場合、インダス河沿いに下って行けばよいのでこのルートには峠はない。ラダック全体が、波のように数々の山脈と谷間で構成されて、他の地域に行くのに幾つもの峠を越えなければならないからこのような名前がついたのだろうか?

ヒマラヤ山脈

機内で、人生の峠について考える。
わたしの場合、いつの間にか人生の半分をヒマラヤの南北にあるチベット文化圏で過ごすことになってしまったが、人生の節目節目に峠を越えてきた。山の峠と違い目には見えない人生の峠を越えている間は、熱中しているためそのことに気がつかないのだが、後になって冷静に見つめなおすと、すでに何らかの峠を越えていたことに気がつくものだ。

記憶をたどってみるとヒマラヤを越えてチベット文化圏を行き来し、チベット文化圏に長期滞在するようになったきっかけは、1980年から81年にかけてはじめてネパールを旅したときの経験にある。カトマンドゥに着いて間もないころ泊まったホテルのロビーの壁には、チベット高原とヒマラヤ全域をカバーした大きな鳥瞰図のイラストが掛けてあった。そのときの私にとっては、カトマンドゥ以外、この全域が未知の世界であった。イラストには、雪と荒涼とした風景を描かれており、漠然と「こんな世界へ行って見たいな、行けたらいいな」と思った。

はじめてのトレッキングは、ポカラからタトパニへのコースだった。山村の民家を改良した山小屋に泊まったとき、スカスカの壁を通して隣の部屋に泊まっていた欧米人のトレッカーどうしの会話が聞こえてきた。会話の内容は、このトレッキング・ルートをさらに登っていくと、聖地ムクチナートへ行き、その先には(当時外国人には開放されていなかった)ムスタン王国へ至る。そして、そこから地元の人々は、聖なるカイラス山へ巡礼に行くことができるのだ。といったものだった。今になって思うと、このとき小耳に挟んだ数分間の会話が、その後のわたしの人生を指し示していた。

それから20年後1992年にヒマラヤ保全協会というNGOの職員になり、ムスタン地区に博物館を造り、文化保全のプロジェクトを担当することになった。その滞在期間間、西チベットに栄えた古代文明に関心が移り、ヒマラヤ保全協会辞めた後、カイラス山周辺にあったシャンシュン王国の調査を開始した。

わたしの人生は、自分自身で意図したものだろうか?
それとも意図する以前に何かの青写真があったのだろうか?

飛行機は、ツォモリリ湖(写真・左)上空に差し掛かり、すぐにインダス河と河川流域にある緑地帯(写真・右)が見えてきた。着陸態勢に入るのだろう、機体は大きく旋回し始め、再びツォモリリ湖が見えてきた。そしてまたインダス河。

「山間の女神の湖」ツォ・モリリ ラダックを貫くインダスの流れ

しかし、なぜか機体は、同じ場所を旋回し始めた。2回、3回、4回。窓から見える景色を確認してもなぜか高度は下がっていない。高度を下げるために旋回しているのではないのか?

このとき、あたまの中で突然、円広志の「とんで、とんで、とんで、回って、回って、回るぅううぅー」の歌詞とメロディーがなり始める。繰り返し、繰り返し聞こえるのだが、歌のタイトルと、前後のメロディーが思い出せない。それに歌詞がどんな内容だったのかもまったく記憶にない。だいたい、誰があるいは何が飛んで、回っていたのだろう? あるいは、円広志は、何か変なクスリでも摂ってしまったときに書いた歌詞なのだろうか?

さらに、ムーディー勝山の「右から左へ受け流すの歌」の歌詞とメロディも聞こえてきた。その無意味な歌詞と不気味なメロディーから、妙に頭にこびりついていた歌が鳴り響き、とまらなくなってしまった。

飛行機が5回、6回と旋回を続けるうちに、このように高度を下げずに同じ場所を飛び続けるのは、「車輪を収納している開閉口が開かなくなっため、胴体着陸しなければならない事態になり、その場合、燃料をできるだけ消費してからではないと胴体着陸した場合、引火・爆発する恐れがあるためであるのではないか?」
という疑念がよぎった。テレビで見た「世界の衝撃映像」というようなタイトルの特番で得た知識だ。機内アナウンスでまったく説明がないのも乗客がパニックにならないように、最後最後の段階まで沈黙を守っているのではないのか?

不安が生じてきたのにまだ「右から左へ受け流すの歌」の歌は聞こえ続けている。
7回目の旋回が終わりようやく下降を始め。機体は無事レーの空港に着陸した。といっても、不安をかかえたまま着陸を迎えたため、狭い谷間を曲がりながら降りていくパイロットの腕に敬服しつつも、前回着たときよりも大きなスリルを味わった。

着陸してホッと安心したとたんに、とんでとんでの前後がどうだったか問題は、「とんで、とんで、とんで、回って、回って、回って受け流すうぅー」と替え歌にすればいいのだ。ということに落ち着いた。

空港職員に「なぜ何度も旋回したのか?」聞いてみると「新人パイロットの着陸訓練のためだ」との答えが返ってきた。(絶句。しばしの沈黙とため息。)

これまで何度インド人に悩まされてきたことか。

レーの空は、どこまでも澄んでいて、青かった。