第6話 ツェリン・パルモさん[LADAKH]

「ラダックへ行くなら、ツェリン・パルモさんという尼僧のチベット医学の医者でラダック尼僧協会の会長をしている方がいるので会ったらいいよ」とNGO開発と未来工房代表の鎌田君から聞いていた。

前々回のブログで紹介したアムチ・ティンレイ・ヤルジョル先生が、ラダック尼僧協会の若い尼さんたちにチベット医学を教えていた関係でツェリン・パルモさんと親しくしていたため、彼にラダック尼僧協会まで連れて行ってもらい、ツェリン・パルモさんを紹介してもらった。

去年の12月来日したツェリン・パルモさんは、会ってそうそう、日本の印象を語り始めた。

ツェリン・パルモさん

ツェリン・パルモ(以下 パ)日本に滞在している間、日本社会の問題点を日本の友人から聞いたり、ホーム・ページを見たりして、少しだけですが理解したのですが、とても悲しくなりました。

私 具体的には、どういうことで悲しくなったのですか?
パ こんなに恵まれている国なのに、1年間の自殺者の数が3万人を超えていることや、うつ病をはじめとして心を病んでいる方が大勢いるということです。原因は分かっているけれど打つ手がないと聞きました。

私 パルモさんは、尼さんであると同時にチベット医学のお医者さんですよね。心の病に、関心が深いのですね。
パ ええ、チベット医学では、体の病は心の状態と密接に関係していると教えています。それに、仏教のエッセンスは、心を癒すことそのものですから、まず、心の問題に関心が向かってしまいます。日本は、もともと仏教が栄えた国ですから、滞在中にも、日本の方々の親切な態度や、モラルの高さにはとても敬服しました。でも、残念ながらこのような、よい習慣が次第に失われていっていると聞きました。

私 日本滞在中に、お寺を訪ねたそうですね。
パ はい、たくさんお寺を巡ることができました。京都の大きなお寺へ行ったとき、最盛時には、たくさんの僧侶がいたと解説がありましたが、いまでは、観光客を相手にしている僧侶がちらほらと見えるだけだったので残念でした。また、友人に聞いたのですが、日本では、信者さんが死ぬときに、阿弥陀様のいる極楽浄土へ往生させる儀礼があるそうですね。チベットやラダックでも同じような儀礼がありますが、必ず修行を積んだラマがこのような儀式を執り行っています。日本の場合、修行を積まずに能力が足りない僧侶が極楽往生のための儀式を行っているそうですが、それでは、本当に死者が極楽へ行けるのかどうか心配になりました。

私 そうですね。日本人の間でも観光仏教とか、葬式仏教とか批判されています。
パ ほかにも、戒名の話を聞きましたよ。妻帯したり、お酒を飲んだりして僧侶として本来守るべき戒律を守っていない人が、死者に戒名を授けているとは、しかも高額な値段で売買しているとは! そのような業を積んだ僧侶が、来世で悪い条件で生まれ変わることになるのではないかと思い同情しています。

私 自殺や心の問題だけでなく、日本の仏教の現状に関して聞いたりして悲しくなったのですね。
パ いまの日本の多く方々が心の問題を抱えていることと、伝統的な精神性が衰退していることは直接関係があると思いますよ。かつては生きる指針を示していた仏教が、近代化の中で方向性を示すことができなくなっているのでしょうね。

私 日本人は、伝統的な精神性の代わりに、西洋近代の合理主義と経済発展優先の生き方を選択して、今までやってきたのですが、様々な問題が露呈してきて、多くの人々がこのままではいけないと気づいていても、どうすればよいのかが分からない状態にあるんです。
パ わたしも短い滞在中でしたが、そのように感じました。でも、ヨーロッパの先進国に比べると、日本人の生活の中にはまだまだ、基本的に仏教の教えが生き残っているとも感じました。

私 いろいろと興味深いお話でした。ここで、パルモさんの生い立ちについて教えてくれませんか? ところでパルモさん、おいくつですか?
パ 42才です。

私 マト村のご出身でしたよね。
パ 私は、大家族の中で育ちました。わたしが子供のころは今と違って、外部の者を労働者として雇ってはいませんでしたので子供たちが夏の間、山の牧草地へ家畜を追いやってテントの中で放牧生活をしたりしました。日常の生活用品も自給自足でしたね。服を羊毛で織ったりして、靴も手作りでした。草地でテントを張って、家族全員でピクニックをしたりした楽しい思い出があります。

私 お医者さんや、尼さんには、いつなろうとしたのですか?
パ 小さいころから、尼さんになりたいなと思っていましたが、子供のころは普通の公立学校に通っていました。8年生までは、村の学校へ、9年生になってほかの村の学校まで2時間かけて通っていました。12年生になるとレーの学校へ移り、卒業後、カシミールにある医学校を受験しましたが、入学試験に落ちてしまいました。でも、後で解剖の授業があると聞いて、解剖などしたくなかったので、落ちてよかったと思いました。
その後、20才のとき、ダラムサラのメンツィカン(チベット伝統医学校)の試験を受け合格したので、チベット医学の勉強を始めたのです。この時期、日本からダラムサラに来ていた三浦順子さんと仲良くなりました。去年、久しぶり日本で再会できてとてもうれしかったです。

ラダックの若い尼さんたち私 ダラムサラの生活はいかがでした?
パ とても楽しくて充実していました。伝統医学を学びながら、平行してダラムサラの図書館で行われている仏教講座も受けました。子供のころからの夢だった、尼僧になる決心をし、91年に沙尼戒を、93年に365の戒律が規定されている比丘尼戒を受けました。
(写真はラダックの若い尼さんたち)

私 ラダックに戻ってきたのはいつですか?
パ 93年にメンツィカンを卒業し、94年にダライ・ラマ法王が、レーでカーラ・チャクラの灌頂儀礼を執り行った時期に戻ってきました。レーに戻ってきてから、チベット医学のクリニックを開きました。また、この時期、ラダックで尼僧の国際会議が開催されて、わたしも発表しました。ラダックにおける尼僧の実態に興味が湧いて各地域へ調査に行きました。その結果、いろいろな問題があることに気づいたので、同志たちとラダック尼僧協会Ladakh Nuns Association (LNA)を立ち上げました。

以下、ラダック尼僧協会の活動について、細かい話が続いたのですが、また改めて紹介します。興味のある方は、
http://www.geocities.com/ladakhnuns/ (英語)を訪れてください。

チベット自治区のシュクセ寺や、ネパールのムクティナートのガル寺に、アニ友(アニはチベット語で尼僧の意味)がいるけれど、チベットや、ネパールヒマラヤの尼さんたちは、たいてい受身で(中にはおしゃべりで陽気な尼さんもいるけれど)、お寺のラマ(男性のラマであり、尼寺とは異なる僧侶のいるお寺のラマであることが多い)に従順に従っているのが普通ですが、ツェリン・パルモさんは、活動的で、社会問題にも積極的にかかわろうとしている女性指導者として、いままでに会ったことがないタイプの尼さんでした。これからの彼女たちの活動を応援したいと思います。