首都に住むということは? ~東京とラサの場合~ [LHASA・TIBET]

チベットに帰れず、日本滞在が長くなってきた(苦笑)。
12月の日本を経験するのは、8年ぶりぐらいか。

そこで、というわけでもないのだが、このところ、
実家の大阪から東京に行く機会が増えてきている。
行くたびに、滞在するたびに、
東京とは、関東とは、不思議だなぁ、変わった場所だなぁ、とつくづく思う。
単に、気まぐれな感想に過ぎないのだが(笑)。

ここで勝手な思い巡らしを、つらつら挙げていっても無意味であろう。
ただ一点だけ、書こうと思う。
それは誰もが感じる、当たり前の事実に過ぎないのであるが。
でもそれは、チベットの首都ラサとも微妙に繋がっていく話。

ここ7、8年ぐらいであろうか。
ラサには、これまでいなかったタイプのチベット人が住み始めている。
それはアムド人。
青海省に住んでいるチベット人のことで、彼らは仕事に勉強にラサに住み始めているのだ。
もともと教育レベルが高い人が多く、観光業などの流行ビジネスのほか、
エンジニアや研究職など専門職に就いている人が結構いるような印象を受ける。
これらエリート層だけでなく、遊牧民のアムド人巡礼者たちも毎年冬、
バルコル周辺で非常によく見かける。(「天候」の厳しい今冬は分からないが・・。)


(祭を観るアムドの人々)

彼らの話すラサ語は、ちょっと異国風・外国人風の訛りがある。
アムド口語とラサ口語はそれほど大きく異なるのである。
僕ら日本人が話すラサ語となんとなくイントネーションも似ており、
おかげで、僕も道端でよくアムド人に間違えられる。

別にアムド人に間違えられるのは全く構わないのだが、
ラサ人の<アムド人観>なるものを探っていくと、ちょっと複雑な気持ちになってくる。

「ダサい」
「ズル賢い」
はては、
「<チベット人>とはちょっと異なった人種」

などと、思われているようなのだ。
アムドもチベット仏教文化圏の一翼ばかりか、今では中核を担う地域である。
それに、今でも絶大な人気のある先代のパンチェン・ラマ十世、
そして現ダライ・ラマだって、アムド出身ではないか。

ラサ人は、このことをどれほど知っているのだろうか?
いやそもそも彼らは、アムドやカム(東チベット)など、
他のチベット地域に巡礼に行ったことがあるのだろうか?
今のチベット自治区の僧院に比べて、はるかに活気があり、はるかに生きている
アムド・カムという宗教風土に触れたことがあるのだろうか。

血縁などが無い限り、ほとんど「否」であろう。
それほどアムドやカムは、中央チベットの人々にとっては精神的に遠い。

逆に、アムド人のラサ居住者はどんどん増えていき、
地方のチベット人のラサ巡礼、中央チベット巡礼は、近年益々熱を帯びてきている・・。


(アムド・センゲジョンのモンラム祭)

結局のところ、地方者は首都に流れる。
そして「首都という異文化空間」は、彼らの世界のひとつになっていく。
対照的に、首都にずっと住んでいる人間は、その利便性ゆえ、その経済性ゆえ、
その(幻想的)中心性ゆえ、
なかなか住み場を動けない、動きたくない、のである。
その性癖・傾向は、おそらく文化や国境を越えて普遍的にあるような気がする。

これはなにもラサだけでなく、ロンドン然り、パリ然り、
そして東京然り、なのである。
(もちろん多数の「例外人」を挙げればきりがないが、ここはあくまで一般論である。)

たとえば、あなたが奈良という地方都市に住んでいるとしよう。
そうすると、大学の進学先や就職先は、
大阪かもしれず、京都かもしれず、はたまた地元・奈良かもしれず、
そして思い切って東京というのも選択肢が入ってきて、
切り開いていく人生の可能性・多層性が一気にふくらんでくる。
これらどの都市でも稼働可能である。
どの都市でも「都落ち」にはならないからだ。

熊本人にとってみれば、九州の中心である福岡、
もしくはもうちょっと東にすすんで、広島や大阪、そしてエイヤッ!という感じで、
首都の吸引力に身をまかせ、東京までもその人生の行動範囲に入ってくるものである。

これはちょうど、
地方のチベット人(アムド人やカム人)が、首都ラサをその居住場所として選び、
大草原のど真ん中に住むアムドの遊牧民が、
アムドの宗教的中心地であるラプラン寺、タール寺はもちろんのこと、
ラサのジョカン寺やポタラ、そして東チベット・カムの聖地をも
巡礼先に選ぶのとパラレルである。

ようは、僕が東京に滞在していて感じるのは、このことである。
地方人が首都東京へ向ける熱い視線に比して、
(生まれも育ちも)東京の人は「地方」というものを、
どれほどリアリティをもって実感できているのだろうか?ということである。
もしかして、「東京人は、東京しか知らないのではないだろうか?」という素朴な疑問である。

「首都」というのは一種の強力な磁場である。
地方都市はその磁場に否応なく引き付けられている。

東京のその有無を言わせぬ、ブラックホールのような「中心性」。
同心円状に広がるデモーニッシュな権力(=価値)の広がり。
その広がりの中心とは、もちろん
皇居であり、霞が関であり、東京大学であり、丸の内であり、表参道であり、秋葉原、ということである。

その中心の渦にどれだけ自分自身が巻かれているかで自分を測り、そして、
自分たちが住んでいる場所が、どれほどその「中心群」に近いか、
利便性がよいかで、空間を測る。
その単線的で単一的な「空間価値」が、関東地方全体を貫いている。
そこに「なにか異様なるもの」が匂うのである。


(東京・新宿)

翻って関西地方。
関西は関東とは全く違った空間秩序で出来上がっている。
つまりは大阪だけでなく、京都もあり、奈良もあり、神戸もある。
過去首都だった場所もあれば、新興ハイカラ都市もあれば、
過去の事なのに現在進行形で「首都」と思い込んでいるところもある。
つまりは、ちっちゃな中心が狭いところでせせこみあっているのである。

僕が長く住んでいた大阪では、それこそ「なんとかの蛙」状態で、
大阪ナショナル・アイデンティティが過剰なくらい吹き出ている。
それもギャグ化しながら、本気になりながら、でも基本的にはギャグで、
希望的事実を熱心に伝えていくので、なかなか大阪人も複雑な精神構造をしている(笑)。

まぁとにかく、大阪は西日本の中心や! 
はては(ある部分においては)日本の中心だと思い込みすぎているところがあるのは、
周知の事実であろう。

しかしとても興味深いことを、十年ほど前あの吉本興業の社長さんが
ある雑誌のインタビューで言われているのを読んだことがある。 
それは、だいたい次のようであった。

大阪人は自分たちのことを一番や、大阪が中心やと思い込みすぎている。
でも本当は、隣に京都があり奈良があり、神戸や和歌山なんかがあるからこそ、
大阪は大阪でいられるわけで、そのへんはちゃんと大阪人も心に留めとかなあかん。

これは全くもって卓見である。
実は当たり前のことかもしれないが、このように言葉にされないと
意識されてこない隠れた真実である。


(遠方から太陽の塔)

首都と地方。
中心と周縁。
その引力と斥力。

我々は、ある全体の「中心」にいると、
それがその全体の「すべて」だと思い込んでしまいがちだが、
実はその中心というのは全体からすれば「局部」に過ぎないのである。

中心=全体のファンタジーは、
古今東西、企業でも官庁でも、アカデミアでも子供の遊戯の世界でも、
いつでもどこでも流れている落とし穴であり、それにちゃんと気づくかどうかは、畢竟、
自分の世界を真に広げることができるかどうかの瀬戸際なのである。

強大な中心の渦に、吸いこまれすぎてはいけない。


(アムドのモンラム祭のチャムにて)

ラサから見えてくる世界。
東京から見えてくる世界。

前者については、僕は八年の長きに渡って垣間見てきたが、
今度はこの後者、日本の首都から見える世界というものをいつかフィールドワークしてみたいと思う。

上の感想の再確認に終わるのかもしれないし、
住んでみるとまた違った風景が見えてくるかもしれない。

実は、今から楽しみなのだ。

まぁでもそもそも、僕のような立場の人間は、
どこに住めるか、どこに就職できるか、
ほとんど選択肢はないのだが(笑)!

Daisuke Murakami


(大阪・四天王寺)