「チベット原風景」考 [LHASA・TIBET] 

ブログで扱うにはあまりに大きすぎるテーマ!
それに漠然としすぎて、あまり意味をなさないような気もする。
プラス、なんでもかんでも言えそうな、あやうい匂いもする(笑)。

しかしながら、「正解」は得られなくとも、怪しげな香りがしようとも、
やはりその、辿りつくことのない頂上へのプロセスが、「面白い」のである。
それに、ブログだからゆるせるような想像力やアプローチがある!

ということで、問う。

チベット人の原風景とは何か ―

(予め断っておくが、この回、長文である。)

ぱっと思いつくのは、あの美しく荘厳なヒマラヤの雪山だろう。
また、アムド(青海省)などで広がっている、
地球規模のあの青色の大草原を思い出す人もいるかもしれない。

雪山は確かにチベット人にとって、心の拠り所でもあるのかもしれない。
だが、それはほんとうに「原風景」と呼べるものなのだろうか。
おそらくチベット人にとって雪山とは、至高の存在であり、聖性の具現化したものなのであるが、
心を和ませたり、ほっとさせるような、ふるさとの香り漂うものなのかどうか、
といえば、少し違うような気がする。


(チベットの聖山カイラス)

もちろん雪山に心の風景を見い出すチべタンも大勢いようが、
僕の感覚では、それは我々外人からみたチベットのイメージを投影しているような気がしないでもない。
そしてそれは、大草原にも言い得るかもしれない。
雪山にしても大草原にしても、チベット高原の重要なトポグラフィー
(そしてそれは、最高の魅力でさえある!)であるが、
それが多くのチベット人たちの生活感覚や「しっくり感」と直に繋がっているのか、
といえば、立ち止まって考える必要がある。

また、もうひとつ。
「チベット人の原風景とは仏教である」などという主張も、
あまりにも当然すぎるというか、センスがなさすぎる。
何か大切なことを言っているようで、その実中身は何も言いってない感じがするので、
こういう「トランプのジョーカー的解答」も避けてみたいと思う。

こういった感覚から議論を出発させたい。

とはいっても、正面から正攻法で攻めるのは、得策ではなかろう。
それほどテーマが巨大かつ深淵かつ怪物めいているのだ。

ここはまず、異なる文化・民族の原風景を探ってみることにする。
そこから得られるヒントを手繰り寄せてみるのだ。
最初に、僕も長年住んだことのあるイギリスである。


(夜のロンドン)

イギリス人の原風景とはなにか―。
それは「ブリティッシュ・パブ」に決まっている!と言う人もあろうが(僕も切にそう思う)、
やはり、あの田舎に全国的に広がっている牧草地であるような気がする。
スコットランドの首都エディンバラから、イングランドの首都ロンドンまで特急に乗ってみよう。
みなさんはほぼ100%、退屈されることだろう、風景の見事な単調さに!
それほど牧草地がずーーーーーーっと続いている。

これは、我々も高校の世界史で習った、あのエンクロージャー(囲い込み運動)の「成果」である。
16世紀以降イギリスでは、領主たちが領地から小作農たちを追い出し、
そこをフェンスで囲い込み、農耕地から牧羊地へと改変したのだった。
背景には当時のイギリスの毛織物産業の隆盛がある。
牧羊地に変える方が、土地の利益率が高かったのだ。
それで多くのイギリスの田舎が、牧草地帯へと変貌を遂げていった・・。
(ちなみに、土地を収奪された小作農たちは、イギリスの産業革命を担う労働者となった。)


(イギリスの田舎に拡がる「牧草地」)

「イギリスの原風景は牧草地である」という仮説―。
その状況証拠がひとつある。
それも、イギリスの都会のど真ん中に!
都会の無意識が現われ出る場、つまり「公園」である。

思うのだが、
およそ公園や庭園といった空間は、
その民族の無意識や欲望が吐露されるような場となっていることが多い。

合理性や意識、現代性といったものから抑圧された、無意識や過去の記憶が、
公園という「民族の憩いの庭」に噴き出しているのだ。

そして、ロンドンにある大公園 ― それは本当にたくさんある ― をみてみると、
そこは、牧草地のように、見渡す限りの芝生で満たされている。
ハイドパークやらプリムローズヒルやら、ブロックウェルパークやらは、
広大な「牧草公園」なのである。

元をたどれば田舎出身である、多くのイギリス都会人は、
こういった「都会に現われた田舎」のなかで、
過去の(先祖の)記憶と交感し癒されていくことになる。


(ブロックウェルパークにて。僕はこの近くに住んでいた。)

唐突だが、
去年のロンドンオリンピックのオープニングセレモニーを感動して観た人は多かろう。
そのなかで、いかにも象徴的だったのは、あの会場の中心にあったmeadow(牧草地)の丘の存在だ。
セレモニーでは、そのmeadowから人々がどんどん出て来て、
「19世紀産業革命イギリス」を演出していた。
(それはさながら小作農が、搾取される労働者へ変換されていく過程だ。)
そしてこの牧草地で、ユニオンジャックの国旗掲揚が行われ、
国家である「God Saves the Queen」が大合唱されたのである。

イギリス人の牧草地に対する国民的憧憬は、こういったごく小さな例からでも垣間見えてくる。
それは思い切って、「原風景」という言葉で形容してもいいだろう。

           * * *

チベット人の原風景に入る前に、もうひとつ、みてみたい。
我々日本人、日本の風土で生まれ育った人々の原風景、である。

僕はこれまで「日本人の原風景とは?」などという大テーマを真剣に考えたこともないが
(いずれ考えてみたいと思っているが)
森が日本人の精神形成にとって重要な役割を果たしてきたことは、ほぼ間違いないだろう。

古代から日本では、死者の霊は森や山へ往って神や祖霊や物の怪となり、
時に平地に降りて来ては幸(さち)や祟りを齎(もたら)す存在として、畏れ崇められてきた。
そういう森は「鎮守の森」として神社が建てられるようになり、
霊性を帯びた山全体が、我々現世の人間を護ってくれていたのだ。


(熊野街道にて)

そういう山や森は、今の日本の都会のど真ん中で出会うことは勿論ほとんどない。
が、やはりここでも「日本人の公園」である都会に建てられた神社が、ヒントになっていく。
そこでは、鬱蒼とした木々で満たされてないだろうか。
東京では明治神宮、名古屋では熱田神宮などが分かりやすい例であろうが、
そこでは、太陽の光は遮られ、少しジメッとした森の暗い雰囲気、
霊気が見事に演出されている。(夕暮れや夜に行けば、分かりやすい!)
それはまるで巨大な自然=神のジオラマのようだ。

ところで、神社というのは、国家が管理するナショナルな空間でもある。
しかし一旦、そういう観念的なものから離れてみると、
日本人は、神社という「政治的カタチ」を尊重しながらも、
その内実は、癒しの場としての森(鎮守の森)を都会の中に再現しようとした、
といえなくもない。
そこに日本人の無意識の流れを汲みとれないだろうか。

しかし、森を作るのが「当たり前」な神社を、「日本人の公園」と主張し、
だから、日本人と森は切っても切り離せないというのは、
ちょっと誤魔化されたような気がしないでもない。


(万博記念公園にある「太陽の塔」)

そこで、比較的最近作られた、(それ故「神様」からも離れた、)フツウの大公園をみてみよう。
ここでは、大阪の万博記念公園と服部緑地公園を挙げたい。
それは、真っ直ぐに欧米のスタイルを真似しようとしたらしい公園だからである。
(それとただ単に、僕の実家の近所の大公園だから、である、笑)
特に、「太陽の塔」のある万博記念公園は、日本の近代化を象徴する万博の跡地に出来たもので、
そこかしこにヨーロッパ風の公園の雰囲気を演出しようとしたような苦心がみえる。
たとえば、例の、「広大な牧草地」、である。
万博記念公園には、あちこちに広い芝生の空間が拡がっており、それはそれは気持ちいい。
大阪北摂で育った僕は小さいころはよく、野球やサッカーをしにこの広大な芝生に来たものだった。

しかしこの大公園には、同時に、
なんとも中途半端な森が拡がっているのである。
ついでに作ったのかもしれないが、それにしては、結構立派にしげしげしているのだ。

これは僕がいつもジョギングで行く大公園、服部緑地公園も全く同じで、
円形花壇などという、見晴らしのいい綺麗な巨大花壇があるかと思いきや、
その周囲は鬱蒼とした森が拡がっている。


(服部緑地公園にて)

ここで思うのだが、ヨーロッパ風の(ここではイギリス風の)見晴らしのいい
牧草地のような芝生公園は、日本人の心象に合わなかったのではなかろうか。
つまりは、整理され過ぎた見晴らしのいい開けた空間よりも、
ややジメッとした、隠れやすい、なにかしら深みや怖(こわ)みのあるカオス的な空間が少しでもないと、
日本人は心から落ち着くことができないのではないか。

そこで、不器用にも(器用にも?)、
ほんとうは芝生になるところに、森をせっせとこしらえたのではないか、と思われる。
実際の公園建造のプロセスはよく分からないが、
どうやらこの本能ともいえる衝動が働いていたような気がする。
そうでなければ、あのふたつの公園内の、
森と芝生のどっちつかずの中途半端さ加減が説明できない。
(森林にしたいのか、広場にしたいのか、一体どっちにしたいんじゃい!? 
とツッコみたくなる。でもその「迷える精神」が故に、
僕はこれらの公園を愛してもいるのであるが;苦笑)

そして実際のところ、日本の大公園の多くは、ロンドンと対照的で、
芝生公園ではなく、公園・公園なのではなかろうか。

         * * *

「民族の原風景」を探るうえで、
これまで都会の公園にこだわってきたのは、それなりの理由がある。
ここからが論理の飛躍となるが、
都会の公園や庭園といったものは、世の心理療法家たちがセラピーで使うところの、
「箱庭療法」の「箱庭」に相当するのではないか、
と思うのである。

箱庭療法とは、周知のように、
精神障害をもつクライアント(患者)のために開発された、セラピーの一種である。
それは、あらかじめ用意された何百種類ものフィギュア(人形)から、
クライアント自身が思うままに選び出し、砂を入れた底の浅い箱の中にポツポツ置いていき、
ある世界/物語を創りだす癒しのプロセスのことである。

フィギュアには、様々な種類の生き物やら乗り物やら樹木やら多岐に渡っている。
セラピストに見守られながら、
それらを使って「安全地帯」である箱の中でストーリー展開させることにより、
クライアント自身が普段は感じられない、無意識の動き、夢のありようを発見することになる。
超日常的な「もの」に出遭う内体験といってもいいだろう。

つまりは「箱庭」には、その人間自身の無意識の欲望が反映され、
その箱庭=世界を作る過程が、彼(女)のこころの癒しへと繋がって行く。

そういった箱庭的な機能を、
都会の公園・庭園といった空間は、民族レベルで幾分なりとも担わされているような気がするのだ。

イギリス人は箱庭の中に、meadow(牧草地)を敷いた。
「オリンピックのオープニングセレモニー」という箱庭の中心には、同じくmeadowがあった。
日本人のつくる箱庭には、どうやら林や森といったものを、置かないわけにはいかないようだ。

では、チベット人は箱庭に何をどのように置くのだろう?

          * * *

じつは、伝統ラサの社会には、「公園」というものがあった。
地位や職業によってそれぞれお好みの「公園」に遊びに行っていた。
そしてそれは現代のラサにも残っている。
きらびやかな民族衣装を着て、チャン(お酒)や干し肉など弁当を持って行き、
そこで遊戯や踊りや歌に酔うのだ。

その公園のことをチベット語で、リンカ、という。

リンカには、林や水場がある場所が選ばれるのが常であったが、
チベット人たちが唯一その空間に、付加する風景があった。

それはリンカに絶対欠かせないもの、テント、である。


(ポタラにある「リンカ」の壁画)

テントときいて意外な感じを受けるが、ちょっと考えてみよう。

テントは雨よけ日よけ、
そしてそこで寝泊まりするために持って行かれるものである。
つまりは便宜上必要、というわけである。
そういう理屈でいくと、そこに特別な意味を見い出すのは、見当違い甚だしいということになる。

確かにそういう合理的な見方もできるが、ひとつ注目したいのは、
テントというのは、古代から現代までチベット民族にとって長い間<イエ>であった、という事実である。
多くの遊牧民にとっては、テントがホームであり、寝食共にする家族との憩いの場であり、
心安らぐ世界の中心であった。
遊牧民だけではない。
テントは祭祀のときにも、軍営を張るときにも、そして仏教の教えや聖地を求めて彷徨う
巡礼のときにも、なくてはならないイエであった。
また、古代チベット王家が、
「ヤルサ」といって夏にはわざわざテントで暮らしをしていたことを思い出してもいい。

つまりは、生業/僧俗貴賤を問わず、
チベット人の集まるところ、チベットの社会があるところ、
つまりは、チベット人のこころが凝集するところ、
そこには常にテントが張りめぐされていた。


(ラサの「リンカ」場にたてられた巨大テント)

テントがいかにチベット人の心象を捉えているか、正面から説明するのは難しい。
それはある意味、あまりに日常の習慣、日常の風景となっているからだ。
チベット人自身も、テントを特別視するようなことは決してない。

しかしながら、
リンカにテントを張る習慣を、合理的説明だけに終わらしてしまうのは、
なにかしらファンダメンタルな欲望をも隠ぺいさせてしまうような気がするのだ。
それほどテントというのは、時代を越え地域差を越えて、チベット民族の生きている徴(しるし)の
ひとつとして、祖先の生きていた過去と今の現在を繋げる装置として、
彼らの心象風景のなかに必ず設置されてきたように思われる。
つまりテントをリンカに張ることは、チベット人の癒しへの欲望の、
超時空的な表現のように思われるのだ。

しかし!
テントをチベット人の原風景だと主張するには、まだ早急すぎるだろう。

そこにはもうひとつ、チベット世界のさらに内奥に這入って、考察する必要があろう。
そこに入るには、今まで展開してきた議論とは全く違う道筋から照らし出すことになると思う。

僕の直観では、それはチベット人の宗教感覚と深い繋がりがある。


(三日前のラサの夕空)

冒頭で独り言のように語ったが、
論文ではなくブログだからこそ許されるようなイマジネーションやアプローチがある。
気分にまかせてあてもなく散歩するからこそ、得られる楽しみや知見がある。
そういう意味で、文章を書くことも一種のフィールドワーク(野外調査)といえるかもしれない。
知らないと思っていた知を、実はすでに自分は知っていたことに気づかされるからだ。

そういうことができるのも、実は、ブログが一種の箱庭のようになっているせいなのかもしれない。
無尽蔵ある言葉とテーマから、思うにまかせてピックアップし、世界/物語を展開していく。
そこに癒しや発見があるのだ。

唯一違うところは、セラピストが一人ではなく、
いまこれを読んで頂いているみなさんをも包摂した「ウェッブ空間」
という母胎=マトリックスであるところだろう。

全くもって、今更ながら、<ここ>は不可思議な空間である。

最近ラサは雨が多いのをいいことに、部屋に籠ってつらつらと書いてしまいました。
最後まで長々とお付き合いくださり、ありがとうございました。
(そして結論らしい結論も出せなくて、スミマセン。)

次回からはフツウの駐在日記に戻りたいと思います!
これからもよろしくおねがいします。

Daisuke Murakami


(仔猫)

村上大輔の講座 (東京開催)


[講座]
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8月10日
(ラサの)天気: 雲時々雨
(ラサの)気温: 11~24度
(ラサでの)服装: 昼間はシャツ、フリースなど。 夜は(厚手の)フリース、ジャンパーなど。 日焼け対策は必須。 空気は非常に乾燥しています。雨具は持ってきたほうがよいでしょう。また、風も強く吹くことも多いので、マスクなども役立ちます。

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