第73回●チャワ ~薬の物語り~

小川 康の 『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

tibet_ogawa073_1アムチ薬房の畑のチャワ(当帰)

越中富山の配置薬業をはじめて1年が経過した。もともと薬剤師であったとはいえ、生まれてはじめての自営業は右も左も分からない新入生と同じである。仕入れの方法から帳簿の付け方、さらには自己管理も含めて戸惑うことばかり。「地域医療に貢献したい」そんな高邁な思想は得てして現実という大きな壁に当たってしまうもの。正直なところ現代においては病院の医療保険が充実し、ドラッグストアが夜遅くまで営業し、なによりも車社会になったことで配置薬の絶対的な必要性はあまり実感できないのが本音である。


そんなモヤモヤを払拭すべく松本市から小諸まで柳行李を担いで50キロの山道を歩いてみるも、その間、声をかけてくれたのは「ちょっと、ちょっと君、何してるの」というお巡りさんの職務質問のみ。ちなみに皇居の周りを歩いていたときも爆弾が入っているのではと中を開けさせられた。現代においては悲しいかな「怪しい」存在でしかないようだ。
それでも友人・知人のつてを頼ってようやく30件の顧客を得ることができた。長野市に隣接する小川村からは「小川」つながりという単純な理由だけでお客さんを紹介していただいている。山奥のおばあさんの家には気合をいれてから1時間かけて自転車で向かう。今まで会社勤めから教師、農業まで様々な職種を経験してきたけれど、こうして人と人が向き合い、自分にとって腫れ物のような存在だった「お金」を直接やり取りする仕事にようやく慣れてきたところである。

そんな5月のある日、隣町のおばさんが「最近、体が冷えて、よく眠れないのよ」と相談に訪れた。一通り、話を聞き終えると僕は柳行李からおもむろに薬を取り出した。

tibet_ogawa073_2実母散

「実母散を飲んでください。ほら、昔懐かしい薬の香りがするでしょう。パッケージも素敵ですよね。当帰というセリの仲間の薬草が主成分で体がポカポカ温まると同時に心も和らぎます。その昔、婦人がこの薬草を服用したところ婦人病が治り、他の女のところへ出かけていた夫が当(まさ)に帰ってきた、という故事にちなんで当帰と名づけられたのです」


そうして説明をして薬箱に実母散だけを詰め終えると、あ、そうだと思い出した。
「裏の畑に当帰を植えてあるんですよ。まだ苗の段階ですが、もしよかったら数本、差し上げますから庭か畑に植えてみてください。昔、望月町にいたころ当帰を栽培していましてね。“昔取った杵柄”ってやつですよ。ちょっと待っていてください」
そうして鍬を手にして当帰の苗を掘り起こし、袋に入れてあげた。手はもう泥だらけである。ちなみに当帰はチベット医学ではチャワといい、やはり下半身の冷えの病に主に処方されている。

 チャワ・チュセル・ケルケー・ダンワ・セル
 当帰は黄水の病を癒し、腎臓と腰の冷えを治す。(四部医典論説部第20章)

「当帰の根は薬事法で規制されていますが、葉はお茶にしたりスープに入れても大丈夫ですよ。根と同じように体を温める効果があります。なによりもこうして自分の庭で育った当帰を眺めながら実母散を服用したら効果が高まるのは間違いありません」
「ありがとうございます。私、実はセロリ(セリ科)が大好きなのでとても馴染みやすい匂いです。さっそく庭に植えてみます」

大喜びで帰っていくおばさんを見送ると僕はひとり充実感に浸った。振り返ってみると10年前、チベット医学を目指してダラムサラへ渡る前は、患者がきたら「よっこらしょ」と裏の畑から薬草を掘ってくるような土と汗の匂いのする薬剤師に憧れていたのではなかったか(第20話参)。あれっ、なんてことだ。いまこうして実現しているじゃないか!高邁な思想は実現できなかったけれど、こんな小さな夢が叶っているじゃないか。

そして3週間後、今度は僕がおばさんの家を訪れた。
「もう、すっかり良くなったわ。夜もぐっすり眠れるし。実母散、また薬箱にたくさん詰めておいてくださいね」
と喜びの声を聞けて、もちろん僕も大喜びした。当帰を育てることで薬の物語を作り、お客さんに引き継がれて新しい物語が紡ぎだされ、そしてそれぞれの薬効を生みだしていく。現代の薬に足りないもの、それは物語ではないだろうか。全国の薬剤師が物語とともに薬局の薬を渡せば効果が倍増し副作用は減るのではないかという仮説を僕は立てている。薬の物語を育て、物語とともに薬を渡したい。その手段としてチベット医学を学び、富山の配置薬という仕事を選んだのは間違っていなかったのだろうと自分を納得させているところである。

tibet_ogawa073_3薬草観察会場の麦草工房周辺で採取した薬草

当帰の苗はまだたくさんあります。薬草観察会も開催中です。どうぞ薬の物語を紡ぎに小諸までいらしてください。お待ちしています。

<薬草観察会、薬草茶講座の問い合わせは>
小川アムチ薬房 0267-24-7323 まで。



小川さんによる講座情報
この夏は「コモロ DE チベット」

●薬草観察・薬草茶作り
(日 程) 7月4日、11日、31日  ※定期講座
(参加費) 2名~5名の場合、一人5,000円  6名~10名の場合、一人4,500円
       ハーブティーとケーキの軽食付き   (協力 麦草工房)
(場 所) 薬草観察フィールド:小諸・麦草工房周辺  薬草茶講座:小川アムチ薬房 または 麦草工房

●チベット医学絵解き講座
(日 程) 7月10日
      13時~14時30分 「お灸、オイルマッサージ、お香作り」
      15時~16時30分 「チベットの名医・秘蔵ドキュメンタリー映像で紹介します」
(参加費) 4,000円
(場 所) 小川アムチ薬房

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詳しくは 小川アムチ薬房 のサイトをご覧ください。