第93回●ゼルコーバ ~仙台の青春時代~

tibet_ogawa093_1東北大学薬学部の実験室。
隣で実験しているのは同級生のM君

震災後、画面に映し出される光景をなんど見ても、あまりにも凄惨すぎて、それが学生時代を過ごした仙台近郊の映像だとは実感が湧いてこなかった。卒業してから20年近い時が経ってしまっていたこともある。ところが、つい先日、ラジオから流れた曲「月のオペラ」が僕の心を学生時代の仙台へと一瞬にして連れ戻してくれた。東北大学弓道部のエースとして期待されるも、足を引っ張ってばかりだったあのころ。試合が終わると薬師丸ひろ子のアルバム「古今集」を聴きながら布団にもぐった。悔しくて涙が零れおちた。ちなみに、特に彼女のファンだった覚えはなく、たぶん、親友のHから借りていたテープだったのだろう。

 僕たちのアパートは鹿落坂(ししおちさか)という長い坂道を登りきったところを右に曲がって学生アパート街が並ぶ向山1丁目にあった。同じ弓道部員でアパートが近いHとは、ほぼ同居に近い生活をしていた。ある日、「おい、やっし(僕)。キウイとイチゴを混ぜてジュースを作ろうぜ」とHが言いだす。当時、二人のあいだではミキサーを使ってのミックスジュース作りがブームだった。そして、出来上がったジュースを飲んだ後の二人の沈黙が、その驚くべき不味さを物語っていた。この一件は薬草を始めとして何事にも相性があることを示す貴重な経験談として現在も使わせてもらっている。

 またしても試合でコケると「やっし、気分転換に松島でも走りに行くか」とHのバイクにタンデム(二人乗り)して夜の松島まで走った。だから、僕にとって松島は辛い思いでとともにある。でも、このとき、自分の辛さばかりにとらわれて、いつも試合の裏方に回っていたHの心情にまで思いが及ぶことはなかった。

tibet_ogawa093_2親友のHと僕。仙台のアパートにて。
1992年3月撮影

 大学4年、弓道部の主将になってもどん底の日々は続き「東北大学始まって以来の…」という冠詞とともに敗戦の責任を受け止めた。部員の心はバラバラになっていた。僕は定禅寺通りのケヤキ(学名・ゼルコーバ)道を歩きながら人生について考えた。勾当台公園の芝生の上に何時間も寝ころんで悩み続けた。時はバブル。同級生たちは次々と一流企業への内定を決めていた。そんな7月中旬の夜、突然、そのときは訪れた。大学院入試のために有機化学問題集を開いていたときだったと明確に覚えている。「就職も進学もやめて、いま、眼の前の弓道に全てを賭けよう」。そう思い立ち、それまで歩んできた堅実な学歴社会を捨て去る決意をした瞬間、僕の価値観は180度、いや異次元へと変わってしまったのだ(第26話参)。このとき味わった、人生をゼロにリセットするというスリルと爽快感は、その後の僕の人生に何度も影響を及ぼすこととなる。
 そして、弓道場の周りを彩る萩の花が散った晩秋。全国大会「王座」出場をかけた東北学院大学との一戦は大接戦となった。結局は119対120、僅か一本差で敗れたけれど、あのときの「今に生きた」という幸福感と、自分が変わったことで得られた部員全員の一体感は僕の心の宝物として、いまも輝いている。

 弓を置くと、残りの4カ月は青葉山にある薬学部で卒論研究に没頭した。研究テーマは「キラルな含窒素及び含酸素複素環化合物の合成研究」。つまり、薬の副作用を減らすために純粋な合成物を作ろうというもの。合成薬学では自然界にある有用な成分を発見し、それを安定供給するために合成研究をし、さらに副作用を抑えるための研究をしている。そこにはケミカルという冷たい横文字とはかけ離れた人肌の世界がある。とはいえあのとき、広大すぎる科学の海の中で道に迷ってしまい研究の目的が見えなくなってしまった。そして、社会との関係がもっとシンプルな薬草や農業へと興味が移っていくことになるのだが、もちろん、この先にチベット医学が待っているとは、当時の僕には思いもよらなかった。

 このころ薬学部キャンパスの裏に広がる薬用植物園の中を通り、5キロほどの道のりをゆっくりと歩いて帰っていた。教養部キャンパスから聞こえてくるサークル活動の賑わい。広瀬川の橋の上に流れる風。市街地の灯。2度も卒業試験を落とされた花壇自動車学校。一人だけの時間を楽しんだ喫茶店リンクス。あと数カ月で仙台を離れるかと思うとこの街に愛おしさが込み上げてくる。仙台の街を抱きしめ、街に抱きしめられたかった。そうしているうちにHが後ろから追いついてきた。ヘルメットのシールドを上げて「おう、やっし。原付バイク壊れたのか。後ろ乗ってけよ」と声をかける。「いや、壊れてないよ。歩きたいだけなんだ」というとHは「変な奴」という顔をして去っていった。ちなみに、彼は必ず霊屋橋(おたまやばし)の脇にある屋台で「ずんだ餅」(※)を買い、その先のローソンでバナナを買ってから帰る。でも、結局はどちらかのアパートでずんだ餅を食べながら、とりとめもない話で盛り上がることになる。そんな僕の青春時代の思い出が詰まった街、仙台。

tibet_ogawa093_3けやきの芽

今度、薬用植物園からケヤキ並木へと散歩して一緒に仙台を満喫しませんか。そして東北地方の復興に心を巡らせることができたらと思っています。

※ずんだ餅:エンドウマメから作った緑色の餡を絡めた餅。仙台の銘菓。


小諸薬草便り

 昨日、26日、麦草工房さんでワサビの花を食べました。ピリッと辛くて上品な味わい。白い花が咲く直前が採りごろなのですが、それがまさに「いま」なのです。花と一緒に茎を摘んで、そこに熱湯を注ぎます。それを容器ごとビニール袋に入れて1分間、グルグルと勢いよく振り回すと辛みが増して美味しくできあがるそうです。みなさんも、独自の廻し方で独自の辛みを作り出してみませんか。ギョウジャニンニク、クレソン、セリも採りごろ、食べごろです。

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左から:ギョウジャニンニク、クレソン、ワサビ


小諸deチベット 小川さんによる春の野草・薬草観察 開催

夏のツアーのミニ説明会も行います。

小川さんが講師として登場! 風カルチャークラブのツアー&講座情報

 



チベット医学のバイブル『四部医典』のエッセンスを表した絵解き図=チベット医学タンカを通じてチベット医学の基本概念を学びます。


アムド出身のアムチ(チベット医)たちは「草原には薬草がいちめんに広がっていて、とっても綺麗なんだ」と胸を張っていたものです。このツアーでは現地のチベット医学院を訪問し、さらにラサへと鉄道で抜けてチベットの薬草を満喫します。


町からも近い山中での薬草探し、ブータンの医療現場見学など、小川さんと一緒でなければ体験できない企画が盛りだくさん。多くの薬草実習をこなしてきた小川さんと歩き、植物観察を楽しみながらブータンを違う視点で味わいたい、そんな方におすすめです。