第103回●ラベンダー ~過ぎ去った風景~

tibet_ogawa103_1ラベンダー

1993年夏、青春18キップ(注1)で北海道を旅行していたときのこと。旭川から南に下っていく鈍行列車は「北の国から」のBGMが流れてきそうな広大な風景の中を進んでいた。列車の中には数えるほどだけの乗客しかいない。たまたま、通路を挟んで向かいの座席には仲睦まじいカップルが座っている。男性はいかにも山男といった風貌で、女性はショートカットで小柄。貧乏1人旅の僕にとってはちょっと羨ましくなるお似合いの2人をチラリ、チラリと観察しながら列車の揺れに身を任せていた。そして列車が美瑛に差し掛かかったとき、彼らの背面の車窓にラベンダーで敷き詰められた光景が一面に広がった。

「ほら、ラベンダーだよ、見て・・・」と指を窓の外に向けながら彼女に語りかける山男。でも残念ながら、その言葉は彼女の耳には届かなかった。そして、ゆっくりと指を引っ込めると、スヤスヤと居眠りしている彼女の寝顔を見つめていた。じっと静かに時を待つ。ラベンダーの景色はもう過ぎ去ってしまっている。数分後に彼女が眼を覚まし、「よく寝たかい」と確認すると、彼は過ぎ去った風景を思いだしながら丁寧に語りだした。「さっきね、ラベンダーの景色が広がっていてね・・・」
♪ガタンゴトン、ガタンゴトン。列車の音で言葉ははっきりとは聴きとれない。「うん、うん」と頷きながら彼の話に耳を傾ける彼女。きっと素敵なラベンダーの景色が脳裏に広がっているんだろうな。いいなあ……。これはデジタルカメラが普及する前の物語。

tibet_ogawa103_2北海道留寿都高校の職員室にて
1993年撮影

この年、僕は文部省の外郭団体にあたるJYVA(ジバ)(注2)が主催する1年間ボランティア・プログラムに参加し、北海道の留寿都高校に派遣されていた(第26話)。派遣先は沖縄の離島や障害者施設、山村留学施設など過疎地を主として全国に60か所ある。
活動に先立ち、60名全員が代々木オリンピックセンターに集合し、20日間に渡る合宿が行われた。この期間に仲間意識を高めあい、互いの1年間の健闘を誓い合うのである。そして、派遣後、素晴らしいほど何もない留寿都村での生活の唯一の楽しみは、59名の仲間たちへ毎日、1人ずつ手紙を書くことだった。夜、寮の生徒たちが寝静まると、日記代わりに手紙を綴り続けた。そして、高校の事務員があきれるほど毎日、全国各地から返信が届いた。沖縄の小宝島、小笠原諸島の青ヶ島、対馬、佐渡ヶ島、みんな寂しさと向き合いながら頑張っているんだと励まされた。365通とはいかないけれど、多分、1年間で200通近くは手紙を出し、受け取ったのではないだろうか。これはインターネットも携帯電話もない時代の物語。

そういえばダラムサラへ渡った1999年のころは、よく日本の知人や実家に手紙を書いていた。返信が届くのはだいたい1カ月後くらい。忘れたころに届く手紙の喜びはひときわ大きかったものだ。

tibet_ogawa103_3母が大切に保管してくれていた僕の手紙

先日、2011年、七夕の夜に母が亡くなった。葬儀を終えて遺品の整理をしていると、当時、僕がダラムサラから実家に宛てた手紙と葉書がたくさん出てきて、動かしていた手がすっかり止まってしまった。そういえば、母は道端に落ちている紅葉の葉っぱや、飴の包み紙ですら大切にしまっておく性格だったっけ。おかげで、こうして10年前の自分に再会することができた。懐かしいな……。やや乱暴な筆跡からは、チベット医学を目指しどんどん前を向いて突っ走っていく当時の自分の意気ごみが伝わってくる。でも、どんどん遠ざかっていく息子を見守る母の心境はどうだったのだろうか。

思えば、ダラムサラに滞在していた10年の間で情報の速度が随分と早くなったものだ。今ではチベット人も携帯電話でチベット本土や世界中と連絡を取り合い、僕もインターネットなど文明の有難味を享受していた。
でも、ここにきて、やっぱり少しだけ時計の針を戻そうと思い立った。東日本大震災を契機に考えさせられたこともある。そして思い立ったが吉日、さっそく家のインターネット・モデムを撤去し、葉書や手紙で思いを届け始めた。情報や人との出会いの喜びをもう一度、自分の手に取り戻したい。毎日、手紙を書いていたあの時代に戻りたい。
そんな時代遅れなことを思うたびに、僕の脳裏には北海道で出会ったカップルがいつも浮かび上がってくる。いまも仲良く暮らしているのかな。いま、どうしていますか。お元気ですか?

(注1)
青春18キップ
1日あたり2300円で鈍行列車乗り放題のキップ。5枚綴りで夏、冬、春の季節限定で発売されている。

(注2)
JYVAは2009年に解散し、ボランティア365プログラムは終了しています。

『僕は日本でたったひとりのチベット医になった』 出版記念講演会のお知らせ

(日時)12月3日(土) 18:00~20:30→延期
(場所) 調布市文化会館 たづくり映像シアター(8階)
(参加費) 3,500円 ※要予約
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