第112回●シャブチ ~ファースト・チベッタン~

tibet_ogawa112_4リキールハウス

2012年2月27日。3月4日からはじまるダラムサラ・ティーチングツアーのためにインドに先入りした僕は、デリー郊外にあるリキルハウスという、ラダック僧院が経営するホテルに宿泊した。デリー空港に比較的近いこともあり、ツアー到着後、または帰国前のお客様の休憩場所としてお世話になっているホテルだ。高級住宅地の中にあることから落ち着いた雰囲気で、ホテルというよりはペンションと呼んだほうがしっくりくる。ホテルの前の公園の木々をリスが走りまわり、ときにホテルのベランダにも顔を見せる。日本からのフライトの疲れを癒した翌朝、朝食を済ませ、風の旅行社と提携している現地スタッフをロビーで待っていると、50歳前後のチベット人女性が話しかけてきた。ホテルのマネージャーの知人のようだ。


「私は日本に何度も行ったことがあるんですよ」という言葉に興味を抱き、あちらはあちらでチベット語が話せる日本人がよほど珍しかったのか話が弾んだ。この女性Aさんは、なんとその昔、エアーインディアでキャビンアテンダントを12年に渡って務め、10年前の出産を機に退職したという。チベット難民とキャビンアテンダントという意外な組み合わせにますます、僕の好奇心は膨らんだ。
「きっと、チベット難民の女性としては第1号だったんじゃないですか」と尋ねると「最初かどうかは分からないけれど、たしかに他には聞いたことがなかったわ。でもね、いまではインドの国内線にはたくさんのチベット人キャビンアテンダントがいるのよ。国際線には2、3人いるかしら」と答えが返ってきた。ちなみに近年においてチベット難民女性が目指す職業の1番人気は看護士で、インド国内のみならず欧米でも活躍している。

tibet_ogawa112_2ツアーで訪れた
ノルブリンカ宮殿内

「しっかりとした教育を与えてくれた両親にとても感謝しているわ。まだまだ保守的な思想が強い時代だったにも関わらず、女性でも誇りをもてる職業に就きなさいと教わって、妹はロンドンで医者をやっているの。それで、あなたの奥さんは日本で働いているの? え、特に仕事はないですって。それは駄目だわ。働けば気持ちが豊かになるから必ず働かせてあげなさい」。
厳しい忠告を受けつつも、リスがベランダを走りまわる中、話が尽きることはない。Aさんはインド東北部ダージリンにある英語学校の出身で、現ブータン国王の母君の3つ後輩にあたるという。

「日本は東京や大阪など空港の周辺だけの観光だったけれど、街はとても綺麗で、みなさん礼儀正しかったのを覚えています。なによりも日本人の乗客はこちらの事情を察しながら声をかけてくれるのでとても助かりました」
日本の印象はとてもよかったようでほっとした。続いて「乗客にチベット人がいたこともあったでしょう」と尋ねると驚くべき答えが返ってきた。
「偶然、ほんとうに偶然に、ダライ・ラマ法王が御搭乗されていたことが1度だけありました。驚いたなんてものじゃありません。そして法王をコックピットにご案内し、機長に御紹介したのです。すると機長が機内アナウンスで法王が御搭乗されていることを話してしまい、そのあと乗客のみなさんが写真を撮りに来て混乱してしまったのには困りました」

旅行会社スタッフ(チベット人)は予定の時間になっても、まったく現れる気配がない。おかげで、思いもかけず楽しい時間を持つことができている。でも、そんな状況に彼女は表情を曇らせた。
「ほんとに、時間にルーズでいけないわ。チベット人のいけないところはサービス(チベット語でシャブチ)にプロフェッショナル性がないことです。チベット人だけで暮らしているならいいけれど、国際化の時代の中で、きちんとした教育を与えていかないと」
「では、TCV(チベット子供村)で講演してください。みんなあなたに憧れると思いますよ」と僕が提言すると笑って返答を誤魔化した。そうして1時間は話し続けただろうか。まだまだ話は続くかと思われたが、あいにく旅行会社のチベット人スタッフがホテルに到着して打ち切らざるをえなかった。事故でもあったのか予想以上に道路が渋滞していて遅れたという。席を立った彼女は初対面のチベット人スタッフにむかって「何時間、この方を待たせたと思ってるの。でも、おかげで楽しい時間を過ごすことができたわ」と笑顔で釘をさすと、僕と軽く握手をしてホテルを去って行った。

tibet_ogawa112_5裁縫タンカを作成する
チベット人 ノルブリンカにて
tibet_ogawa112_3ツアー中に開催したコンサートで演奏するチュデン先生
tibet_ogawa112_1木工に励むチベット人
ノルブリンカにて



難民でありながら彼女のように世界各地で活躍している「ファースト・チベッタン」に、もっと出会ってみたいものだ。ダライ・ラマ法王だけではない。新しい道を切り開いていく凄いチベット人が世界中にはたくさんいるに違いない。


(注)
弊社ツアーで利用するデリーのホテルは、リキルハウスではない場合があります。

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