(4月23日から5月6日まで、風の日本語ガイドのスタンジンとともにラダック各地の伝統医を訪ねました。今回は「ラダック伝統医を訪ねて」シリーズの第4回です。)
スタンジンが暮らすニンム村(レ―から車で1時間)に到着し、ホームステイ先に荷物を置くと、ご近所のアムチ・ツェスペルさんを紹介してくれた。かつてニンム村には、10軒ものアムチの家系があったが、現代に残っているのはツェスペルさんを含めて2人だけだという。自宅を訪れるとちょうど畑に肥料を撒いているところだったが、手を休めて僕のために時間をとってくれた。夕暮れどき、堆肥の匂いに包まれながら伝統医学の話しをするのは悪くない。最初はチベット語を話す日本人にやや警戒心を抱いているのが伝わってきた。しかし、「ギュ」の話題を振ると「よく知っているな!」と表情を緩めて、夕暮れのザンスカル山脈を眺めながらむかしの思い出話で盛り上がっていった。
かつて、ラダックの村々ではアムチの家系の跡継ぎが20歳前後になったとき、村民を自宅の前庭に集めて四部医典の暗誦試験「ギュ」が行われていた(注1)。そして村民の立会のもとで半日がかりの暗誦試験を終えたあとは、新しいアムチの誕生を祝して村をあげてお祭りが執り行われていたという。いうなれば「アムチの成人式」。親友でありラダック伝統医のタシから「ギュ」の儀式の存在を教えてもらった2001年の夏からずっと、僕は「ギュ」の儀式に強い憧れを抱いてきた。中央政府や医学校ではなく、家庭と村民たちによってアムチが生み出されていくとは、なんてわかりやすいシステムなんだろうか。メンツィカンの講堂で大々的に開催される「ギュースム(第24話)」も魅力的だが、大自然に囲まれた戸外で、小さい頃から慣れ親しんだ村民に見守られながら行う暗誦には、さらなる「大自然と人々の物語り」が付随することだろう。
ツェスペルさんはちょうど20歳のとき、いまから35年前の1980年にこの儀式を自宅の前庭で開催し、アムチとして認められたという。暗誦といっても、100%完璧を求められるわけではなく、ときおり暗誦が詰まったり間違ったりしたときのために、審判役であり補佐役のベテランアムチが村内と村外から選ばれて「ギュ」の儀式に立ちあうことになっている。無事、暗誦を終えると、村民のなかから選ばれた患者に対し問診、脈診、尿診を正しく行えるかを審査されて、晴れて試験は終了である。「そのときの写真は残っていませんか」という僕の願いはむなしく、笑顔で「ははは…、残ってないよ」と答えが返ってきた。
ちょうどそのときだ。50歳くらいの女性が畑に下りて僕たちに近づいてきた。ツェスペルさんは「昔からの患者だ」と笑顔を彼女に向けた。彼女の差し出された指を見ると関節が膨れ上がっている。「ドウンプ―(リウマチ)ですね」と僕はアムチであることを証明するためにも積極的に診断を下した。前回の失敗から随分と成長したものだ(第149話)。「君ならどうする?」とツェスペルさんは僕を試してくる。「ここまで慢性化してしまうと、完治は難しいですね。レテ五味丸を服用しつつ温泉かお灸を施すしかないのではないでしょうか」。僕への試験を終えると、「そうだな」と彼女にまた笑顔で向きなおり、丁寧に彼女の脈を診た。さすがだ、と思わされる脈診の手つきである。堆肥が香る畑のなかで、土がついた指で患者の脈を診るアムチ。僕が理想としてきたアムチの姿だ。そして、彼女は笑顔で畑の病院を後にした。もともと、アムチ、すなわち医師とは国家組織によって認められる資格制度でも、「わたしはアムチです」と自己申告するものでもない。「ギュ」のような儀式や、こうした普段からの村民との触れあいを通して「生じる」もの、言い換えると、民衆の中から必然的に浮かびあがってくる存在ではないかと僕は考えている。
しかし、残念ながら1990年を過ぎたあたりから「ギュ」の儀式は急速に衰退し、現在ではほとんど開催されていないようだ(注2)。確実に近代化の波は押し寄せている。それでも、つい数年前にラダックのチャンタン地方(注3)で一人の若者が「ギュ」を村民に見守られながら行ったという情報は得ることができた。「ギュ」の伝統の灯は、まだ、かろうじてラダックに残っているようだ。
今度、ラダックで「ギュ」が開催されることがあったら僕はラダックへ飛んでいきたい。そして、新たなアムチの誕生を、少しだけ先輩顔しながら祝ってあげたいと夢みている。
注1
「ギュ」の分量は、根本部、釈義部の全て。結尾部の一部の章と、秘訣部の一部の章。合計すると、メンツィカン卒業試験「ギュースム」の6割ほどである。
注2
第178話でも述べたが、ラダックのアムチが置かれている状況は極めて複雑である。昔ながらに村民によって認められるアムチは減り、メンツィカンを中心とした「チベット医学連名(第69話)」によって認定されるアムチが増えている。
注3
ラダックの東部、ツォモリリ湖がある地方。
参考
「ギュ」は流れるという意味に、『ギュー・シ(四部医典)』の「ギュ(タントラ・受け継がれるもの)」という意味が掛けてある(と思われる)。通常は動詞とともに「ギュ・トン(ギュを行う)」と用いられ、「ギュ」だけでは用いられない。
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