竹嶋のネパール・レポート(パトレ村編2)

▼5/30 パトレ村の被災状況

村到着時にシェルさん案内のもと、まず始めに行った被災状況の確認は、想像以上に酷いものであった。97棟あった村の家屋は全壊または半壊で全ての家が使えなくなっていた。幸いにも犠牲者は出ず、怪我人が数人出た程度で済んだのが奇跡的に思えるほどの光景であった。

風のツアーでホームステイ先として主に宿泊している家屋も無残な姿になっていた。東日本大震災の特に津波が襲った沿岸部の瓦礫は、木材やガラスや海底のヘドロ混じりの粘質なものが多かったが、パトレ村やカトマンズを含む多くの地域の瓦礫は、主にレンガや石だ。そのためシャベルですくい上げるというよりも、レンガや石を一つひとつ手で掴みどかしていく。もちろん土埃も舞う中での作業になるので、軍手やマスクが大変役立つ。

風のホームステイツアーで主に宿泊していた家屋 風のホームステイツアーで主に宿泊していた家屋

— 翌朝 —

パトレ村の朝は早い。5時前には村が動き始めていた パトレ村の朝は早い。5時前には村が動き始めていた

仮設の家の中でダルバートをいただく 仮設の家の中でダルバートをいただく

▼5/31 パトレ村のリーダーたちと意見交換

翌朝、シェルさんや村のリーダーたちとミーティングをした。
まずは、地震発生時から現在までの村の様子や被害状況を聞く。

地震発生の翌日までは、シェルさんも家や家畜のこと以外はしばらく何も考えられず、動けない状態だったそうだ。3日目頃からようやく村のリーダーたちと動き始め、まずは仮設の家造りに向けて、トタンや木材など必要な材料をそれぞれの家からリストアップし、麓のダディンの町まで調達に行くところから始め、10日目には仮設の家屋を作り始めた。
そして、地震から21日目には、村のほとんどの仮設家屋が完成したというから驚きだ。広い土地を持つ世帯は、瓦礫の片付けに手をつけず、空いている土地に仮設をすぐに建て始めることができた。一方、土地が狭い世帯は、仮設家屋を建て始める前にまず瓦礫をどかしたうえで建て始める必要があるので時間を要する。それにしても簡素ではあるが、短期間で協力し合い作り上げた仮設家屋はおおよそ10日ほどで作り上げたとは思えぬほどの出来で頼もしい限りだ。

家畜は村全体で水牛が3頭、牛が10頭、ヤギが20頭ほどが倒壊した家屋に埋もれ、やられてしまった。だが、もともとの全体数の約1割程度の被害で、当初ネパールからの第一報で耳にした「家畜もダメになった」という情報から思ったよりも軽く、安堵した。

その後、シェルさんに今後の村の未来計画を質問してみた。すると、彼は紙1枚に村の未来の姿を何の迷いもなく力強く描き始めた。店、交番、事務所、ホームステイ受入れの家屋、ハイキングコースなど、これからの村の姿が彼にはもうすでに見えているのである。真っ白な紙にまず初めにペンで書き込んだのがが「School」という文字だったのがとても印象的であった。「子どもたちの教育の場を奪ってはいけない」そんな彼の意思が、未来の村の姿を語る端々で垣間見えた。

村のリーダーたちとのミーティング 村のリーダーたちとのミーティング

シェルさんが未来の村の姿を書き込み始めた シェルさんが未来の村の姿を書き込み始めた

白紙にまず書いたのが「School」の文字であった 白紙にまず書いたのが「School」の文字であった


4.25 ネパール大地震
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