ナウル
太平洋に浮かぶ絶海の孤島ナウル。
立花が高校生だったころ、市販の南太平洋のガイドブックを見て、この国に興味を持ちました。
・・鹿児島空港から直行便が出ている
・・燐鉱石の輸出で世界有数の金持ち国
・・国営ホテルに日本料理店がある
・・島を一周する道路の全長は約20km
・・乾季でも枯れることのない井戸がある
・・税金がない
ガイドブックにありがちな写真も殆どなく、イメージが湧かず、それゆえに興味が独り歩きを始めました。
中世以前、ナウルにポリネシア人とメラネシア人が渡来し、定住しました。
欧米にその存在が知られたのは1798年(日本は寛政10年。光格天皇の御世。江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉の治世)のことです。イギリスの捕鯨船ハンター号の船長ジョン・ファーンにより確認され、プレザント島と名付けられました。
1888年(明治21年)ドイツが領有を宣言し、翌年には燐鉱石が発見されました。燐鉱石の採掘が開始されたのは1906年(明治39年)です。
第一次世界大戦のさなかの1914年(大正3年)に、オーストラリアがナウルを占領し、イギリスの支配下に置かれます。
1920年(大正9年)に国際連盟委任統治領となり、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドの委任統治下に置かれ、燐鉱石採掘権はイギリスが獲得しました。
1940年(昭和15年)第二次世界大戦が勃発。ナウルに入港していたイギリス商船がドイツの仮装巡洋艦に攻撃を受けます。
1942年(昭和17年)大日本帝国がナウルを占領、陸上航空基地を設営し、第六十七警備隊と横須賀鎮守府第二特別陸戦隊が配置されました。その際、ナウル島民は、南洋庁の支庁が置かれていたトラック諸島に強制移住させられました。
第二次世界大戦が終結した翌年1946年(昭和21年)元日、ナウルはアメリカ合衆国に占領され、翌年、国際連合信託統治領となりました。
1968年(昭和43年)1月31日、イギリス連邦内の国家として独立、ナウル共和国となります。
1970年(昭和45年)燐鉱石の採掘権がイギリスからナウル共和国に移管されました。
1999年(平成11年)燐鉱石が事実上、枯渇しました。
2001年(平成13年)アフガニスタン難民を受け入れるも、難民の拒絶に遭い、結局、難民はオーストラリアに移送。
2003年(平成15年)ナウルと諸外国との通信が途絶。政変や動乱が心配されましたが、実際には『電話料金を払えず、電話を止められた』状況であったことが判明。この年は大統領が四回、代替わりしました。
2016年(平成28年)より、観光誘致が始まったと考えられています。
2023年(令和5年)現在、燐鉱石の二次採掘が行われています。
ナウルと日本との友好関係は、太平洋戦争の時代、トラック諸島(現ミクロネシア連邦チューク)に強制移住させられた先で生まれたという説があります。
当時、トラック諸島には南洋庁の支庁が置かれ、多くの日本人が、トラック人と共存していました。明治2年、旧・土佐藩士の家に生まれた森小弁(もり・こべん)がトラック諸島に移民してから、日本からの移民はトラック諸島の人々と良好な関係を築いていました。森小弁が日本と南洋との架け橋になるため、尽くした結果です。ナウルの初代大統領になったデロバートは、特に親日家で、国営ホテルに日本料理店を誘致したのも彼でした。
今は、直行便も、燐鉱石も、日本料理店もありません。世界有数の金持ち国と、オセアニア最貧国も経験したナウル。短い歴史の中でさまざまな体験をしたナウルの今の姿をみてみましょう。