小川 康のヒマラヤの宝探し

第261回 シミ ~猫とチベット~

 
TCV教科書
TCV教科書

むかし、むかし、ある民家にネズミがたくさん住んでいました。ところがその家の猫がネズミたちを騙して食べてしまおうと思いたちました。猫はネズミたちに愛嬌を振りまいて、「わたしは他の動物たちへ危害を与えないと誓いました。だから、あなたたちは私を怖れなくていいですよ。あなたたちが毎日、わたしの周りを回るならば巣の門番をしてあげましょう」と話すと、ネズミたちは信じてしまいました。そしてネズミたちは言われたとおり毎日、猫を周回しました。すると猫は他のネズミたちにバレないように、最後尾のネズミを一匹ずつ食べたので、だんだん太っていきました。ネズミたちは数が減ってきてようやく疑いはじめました。注意深く見てみたところ、毎回、猫が最後尾のネズミを食べていることがわかったのです。
ネズミたちは憎い猫をいかにして懲らしめてやろうかと相談しました。そこで、新年の祝いに猫を招待し、心地よい音のする鈴を首飾りとしてプレゼントしたら、音が鳴って逃げられるのではと話しがまとまりました。そして新年、猫を招待したのです。「おおい、猫さん。いつも巣の門番をしてくれてありがとうございます。お礼に銀の鈴の首飾りを贈ります」。そう話すと猫は喜んで鈴をつけてもらいました。それからというもの猫はネズミを食べることができなくなってしまいました。こうして「ネズミが相談して猫の首に鈴をつける」という諺は生まれたのです。

 メンツィカン入学前の1999年、チベット語の勉強のためにTCV(チベット子ども村)五年生の教科書を学んでいたとき、この寓話に激しい憤りを感じてしまった。なぜなら、僕は1970年に生を受けて以来の生粋の猫好きだからである(注1)。チベット社会において犬は野良犬を含めて大切にされ(第155話)、犬をペットとして飼っている家庭は(日本ほど多くはないが)数件あった。チベット本土の遊牧民たちは番犬として犬を大切にしている。いっぽう猫を飼っていた家庭は僕の知る限り存在せず、「猫はネズミを食べるためならまだしも、遊ぶためにネズミを殺すから罪深い」と猫を毛嫌いしているチベット人は多かった。もちろん小学校の教科書が大きな影響を与えているのは間違いない。そのたびに、猫を愛する僕は憤慨を隠すことなく、チベット語の練習を兼ねて討論に持ちこんだことが何回もあった。ちなみにこの寓話はイソップ童話「ネズミの相談」が原型になっているが結末はチベットオリジナルに編集されている(注2)。

ダラムサラの猫と僕(文中に登場する子猫ではない)
ダラムサラの猫と僕(文中に登場する子猫ではない)

メンツィカン入学後の6月のある日、寮に戻るとベッドの下が散らかっていることに気が付いた。よく見ると日本から持参した貴重なカツオブシだ。どうやら近所の野良猫が匂いにつられて侵入したようだ。生まれて初めの海の幸に狂喜乱舞した様子が食べ散らかり方から推察できる。それから数日後、夜中に胸のあたりの重みで目が覚めた。恐る恐る胸元を覗きこむと子猫が丸まって寝ているではないか。なんて可愛い犯人なんだ! そういえば小さい頃、愛猫ニャニャコは必ず僕の布団で一緒に寝ていたものだった。それから約一カ月、子猫は毎日のように僕の布団に入ってきてくれ、至福の時を過ごせたのだが、猫に興味のない同級生たちからは奇異の目で見られていた。ちょうどこの頃、メンツィカンでの生活に疲れて精神的に参っていたことから(第26話)、もしかしたらニャニャコが、子猫に乗り移って僕を励ましてくれているのではないか、そんな空想を巡らせながら涙を流したのはいまとなっては懐かしい思い出である。でも夏のヒマラヤ薬草実習で元気を取り戻して帰ってくると子猫はもういなくなっていた。

絵解き図の猫  
絵解き図の猫

八世紀に編纂された四部医典には「猫は家畜である(釈義タントラ第16章)」とあるように古来よりチベット社会の一員として認識されていたことがわかる。しかし「猫がこっそり近寄って獲物を捕まえるように病の診断をしなさい。(同上第27章)」と記され、猫は狡猾な喩えとして登場している。さらに「(医者が往診に行く際に)猫、猿、カワウソ、蛇が道を横切るのは悪い兆候である。(同上第7章)」とあるのは、薬師如来の聖なる教えとはいえ納得がいかない。さらにさらに絵解き図において猫は意地悪そうに描かれていることから、古来よりチベット社会では猫の評判はよろしくなかったことがわかる。したがっていまさら外国人の僕が猫の復権運動を展開したところでどうなるものでもなさそうだ。ただ、もしも僕が四部医典の絵解き図を発注することがあったら、猫だけはホワッツマイケル(小林まこと著)のように可愛く描き直し、ささやかな抵抗を試みてみたいと心に秘めている。なお四部医典では猫は古語でチラと記されているが現在はシミと呼ばれている。シは平和、ミは人、つまり「平和な人」である。

 こんなに猫好きな僕ではあるが現在、上田の自宅に猫はいない。自由業ゆえに猫が一緒にいると猫が好きすぎて仕事に支障をきたすことが確実だからである。たまに近所の猫を可愛がるとともに、ユーチューブで猫の動画を見て満足しています。


注1
日本では2010年あたりから空前の猫ブームとなっているが、もともと人気があったわけではない。データによると1982年の世論調査では約半数の日本人は猫が嫌いだったという(Wikipedia)。文中で「生粋の猫好き」と書いたのはそんな背景がある。余談ではあるが先日発見した自身の小学校2年生のときの夏休みの日記には、毎日、猫の話題ばかり書かれていた。

注2
イソップ童話の結末は「猫に鈴をつければいいことがわかっても、結局、誰も実行できなかった」となっている。なお寓話の最後の諺は実際に耳にしたことは一度もなく、チベット社会でそれほどは汎用されていないと思う。


参考
愛猫家、風の講師・村上大輔氏は過去のブログで次のように記している。
「チベット人はあまり猫を飼う習慣がない、というか、あまり猫のことをよく思っていない人が多いのである。」
詳しくはブログ 人類学者Daisuke Murakamiのラサは今日も快晴 をどうぞ