添乗報告記

添乗報告記●ラオス謎の石壺ジャール平原と世界遺産ルアンプラバーン9日間(2009年末)

 
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モン族の母子

2009年12月26日〜2010年1月3日  文●高嶋達也(東京本社)

2009年の締めくくりは、建都1000年に沸くベトナムのハノイを基点に、ラオス北部を巡る旅でした。首都とは思えぬのどかな国際空港を持つビエンチャンは、SEAゲーム(東南アジアのオリンピック)の熱気が落ち着き始め、ルアンプラバーンからの遷都450年となる2010年を静かに迎えるところでした。

スケジュール

 1日目:東京・大阪⇒(乗継)⇒ハノイ

 2日目:ハノイ⇒ビエンチェン⇒ジャール平原

 3日目:ジャール平原

 4日目:ジャール平原⇒ルアンプラバーン

 5日目:ルアンプラバーン市内郊外観光

 6日目:ルアンプラバーン⇒ノンキャウ⇒ムアンクア

 7日目:ムアンクア⇒(国境)⇒ディエンビエンフー

 8日目:ディエンビエンフー⇒ハノイ⇒

 9日目:⇒東京・大阪



ビエンチャンとルアンプラバーンに挟まれたシェンクワンに移動し、いよいよこの旅のメインの1つ「謎の石壺」に迫ります。インドシナ7不思議(と勝手に呼ぶ)のこの石壺は、人の背丈程 もあり、ラオス内戦の激戦地として有名なシェンクワンに60ヶ所、1000以上も散り置かれてします。

誰がどこから、どうやって、何の為に、何に使ったのか、、、未だ解明されていないラオス最大の謎です。

我々は、2日間でジャール平原にある3つのサイトを巡りました。誰がどこから、どうやって、何の為に、何に使ったのか、、、未だ解明されていないラオス最大の謎です。ほとんどが丘の上にあるので、古墳代わりだったとか、棺桶だった、食料庫だった、という諸説ありますが、私は、大男が杯代わりに酒を飲んだという巨人伝説を支持したいです。

その後、ルアンプラバーンでの托鉢体験、メコン川をボートと車で遡り、ベトナムとの国境まで移動しました。

この旅で最も好評だったのは、ツアータイトルにこそ入っていませんが、各地での少数民族の村訪問と交流だったのです。

ラオスは日本の本州程の国土に、49の民族が暮らしています。我々は6つの民族、8つの村を訪ねました。


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煎った豆はおやつに最適

ジャール平原のモン族の村

まず、ジャール平原の中心地ポーンサワンから東に約30km、インドシナ戦争で使われた爆弾の殻を柵や柱として利用する、モン族の村・タジョーク村を訪問しました。黒い子豚がウロウロし、女の子がフルーツや野菜を切り、食事の支度中。お母さんはピーナツを煎ってお菓子代わりに子供達に振舞っています。我々も小さいのに味の濃いピーナツを頬張りながら散策しました。精霊信仰なのでお寺はなく、仏壇の代わりに精霊が宿るとされてる木や花が祀られています。一夫多妻制が認められているようですが、経済的な理由もあり、今ではほとんど無いようです。


機織の民・タイダム族

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まだまだ現役

更に東に20kmほど車を走らせたところにあるタイダム族の村・シェンキオ。タイダム族は織物や刺繍で有名ですが、ここでは、結婚式の宴会に遭遇。ラオスでは結婚すると3日間宴会をするそうで、2日目に儀式や披露宴を行うそうなのですが、今日は3日目の宴会。おとなしい新郎新婦を肴に、周りは勝手に盛り上がっています。ラオス焼酎(と言ってもウォッカ位の度数あり)「ラオ・ラーオ」を振舞われ、お宅訪問までさせて頂きました。結婚すると親とは別だが、兄姉夫婦とは同じ屋根の下で暮らすそうです。若いうちは面白そうだが、、といらぬ心配をする我々でした。


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アラッいい柄ねぇ

プアン族の村

石壺の街を後にして、ルアンプラバーンを目指す尾根伝いの道すがら、ひとつの村・ナムングムに立ち寄りました。プアン族はタイダム族と並んで機織が有名な民族です。働きに出てる母親の代わりに孫の面倒を良く見るお婆ちゃん、来月にはやっと電気が通ると喜んでいる。高床式住居の下には機織機があり、綺麗な織物に一同目を奪われ財布の紐も緩みます。


モン族の恋のキャッチボール

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どんな恋バナしてるの?

そして、もう1箇所、ルアンプラバーンとビエンチャンを結ぶ幹線とシェンクワンからの山道が交わった三叉路の町・プークンから程近い村では、お祭りに遭遇しました。そこでは、女の子と男の子たちが向かい合って並び、ひとつのボールを男の子から女の子に、女の子から男の子に投げ続けていくキャッチボールのようなことをしていました。ボールのやり取りをしながら、会話をする(口説く)のだそうです。なんとも初々しく詩情あふれる言葉のやり取りだそうです。

最近では、どの民族も正装するのは、お祭や儀式の時だけになっているらしく、とても残念です。


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ラオ・ラーオ作りの村の

看板娘

ラオ・ラーオの村「バーン・サーンハイ」

夜明け前、たくさんのトゥクトゥクが行き交う世界遺産の街ルアンプラバーンに繰り出しました。ほんのり明るくなってくる頃、橙色の僧衣に身を包んだ僧侶たちの行列に托鉢した私たちは、メコン川を遡り、ラオス焼酎「ラオ・ラーオ」を作っている村を訪問しました。一言に「ラオ・ラーオ」と言ってもいろいろあります。無色から白濁、ルビー、檸檬色、蛇などが漬かっているものまで数十種類。いくつか試せば気分が良くなり、村人とのやり取りも軽妙になるってもんです。お勧めのおつまみは、芋を潰して延ばしたクレープの皮のようなチップス。小腹が空いたら焼きバナナもご一緒に。


カム族の村・チェンカン村

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焼き芋チップスと

焼きバナナ

ノンキャウという町で船に乗り換えて、川をさかのぼること約4時間。船中でのおやつにと、ガイドは朝市に立ち寄って、みかんやタマリンド、ランブータンなどのフルーツを買い込んできていました。旅に地元の食べ物はかかせません。

車はおろか人影もみかけない山あいの川をボートは進みます。12月なのに、両側にこんもりとした樹々に覆われ、一面緑です。たどり着いたのはチェンカン村。36世帯、220人が住んでいる、4年前に出来た新しい村です。モン族と違い、結婚したら親とは同居せず独立するそうです。お祭は稲刈りの後の11月。村には小さな小学校が有りました。ラオスでは、通常7歳から小学校に入るそうですが、少数民族は9歳から就学するとの事。小学校を出ると町に働きに出るのが一般的だそうです。


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タイダム族の子供

ベトナム国境手前のタイダム族の村・ソプフン村

ムアンマイという町に程近いためか、今までで一番大きな村で、赤ん坊からおじいちゃん、おばあちゃんまで仲良く暮らしているというのが空気感、雰囲気ですぐに感じ取れました。何故か、それは皆がとびきりの笑顔だったんです。異国からの突然の訪問者に対し、裏のグラウンドでサッカーに興じてる若者達を「あんた達もいらっしゃい!」って連れてくるおっかさん。オシャレに目覚め始めた中・高生の男女の恥じらいながらのやり取り。皆で食べる鍋料理の材料作りや火の番を、この子供達がやっているのも微笑ましく映りました。


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親から子へ、手習い

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白モン族の衣装

ディエンビエンフー 白モン族の村にて

国境の町・ディエンビエンフーから車で30分、白モン族の村があります。養蜂している家も点在し、味見をすると、なんと深く濃くピュアな味。隣では、お母さんと娘さんが織物をしています。女性は7歳から12歳の間は、モノ作りの勉強をしなければいけないらしく、お母さんの手をじっと見ている真剣な眼差しが印象的でした。丘の上にある家では、衣装を着せて頂きました。頭に巻く飾り付きのターバンがとても可愛らしい。


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のどかなモン族の村

メコンを遡り、車に乗り換え陸路でベトナム国境を越えた1月1日。目には見えない線だけど、ラオスとベトナムでははっきりと景色が違っていました。国策としての環境保護ではないかもしれませんが、ラオスには、しっかりとした手付かずのぬくもりのある自然が残されていました。パスポートにスタンプが押されると、ダンプカーが行き交い、採掘現場や工場が連なる。ほんの僅かな距離だけど、この別世界をすぐには受け入れられない。約800キロの大移動を終えた我々の疲れを、無邪気なガイドの笑顔が癒してくれる。5日振りだが、なんと懐かしい事か。一所懸命書いてくれた年賀状に頬を緩め、新年をベトナムウォッカで祝う。

  

「サワディ・ビー・マイ(新年明けましておめでとう)、ニョクチョー!(乾杯!)」