小川 康のヒマラヤの宝探し

第220回 メロン ~鏡と私~


tibet_ogawa220_3薬師如来と鏡

 『VOGUEヴォーグ』から取材依頼がきた。どうやらあの世界的なファッション雑誌のようだが、もちろん読んだこともなければ手に取ったこともない。生まれてこのかたファッションにはまったく興味がなく、結婚当初、私服のあまりの少なさに妻が呆れたほどである。だから取材依頼メールを覗きこんで「はぁーー?」と驚いたのは誰よりも僕よりも妻であった。取材テーマは「チベットの美と健康」だという。そして「企画倒れになるかもしれませんが」という前提のもと、森のくすり塾までお越しいただいた。そのとき僕は「鏡(チベット語でメロン)の有無によって美と健康への意識は変わる」というテーマで語った。

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鏡は元には戻らないの絵解き図(補足1)

 メンツィカンの男性寮で暮らしていた10年間、「そういえば」鏡に接する機会がほとんどなかった。自分の姿が映し出されるほど綺麗なガラスも少なかった。日本から手鏡を持参するわけももちろんない。そもそもメンツィカン時代は『四部医典』の暗誦に夢中だったから自分の姿にはまったく興味がなかった。だから日本に帰国した直後、ショーウィンドウに映った自分をみて「こいつは誰だ?」とハッとさせられたのは本当の話である。自分の姿がとっても新鮮に感じられた。この貴重な体験は「鏡に映った自分があってはじめて自分を認識するのか」という哲学的な着想を(数年後に)得ることにつながっていく。具体的には鏡がないと自分「わたし」の存在への認識が曖昧になる。そして他者からのまなざしを通してしか自分を認識することができないため、自分の存在を確認するために他者との関係性を求めるようになってくる。

チベット仏教の問答を例に挙げてみたい(第148話)。自分が知っていることを確かめるには日本では筆記試験が主体であり、自分で自分の知識を確認する。だが、問答では他者が必要になる。相手との知識のキャッチボールのなかで自分が本当に理解しているかどうかを確かめる。つまり「知る」ためには知識を反射してくれる鏡としての他者が必要となるのである。

では、チベットの人がみんな“美”に関心がないかといったら、もちろん違う。たとえばお祭りとなると、チベットの女性たちは青いトルコ石、赤い珊瑚、銀の装飾品をあらん限りに身につけて着飾る。とっても華やかで美しい。ただ、それは「個性の美」というよりは「民族としての美」といったほうが相応しいだろう。個を際立させる美ではなく、民族や文化の単位としての美を個々が担っている。そもそも鏡がないから他者の美しさを見て自分の美しさを認識するしか手段がない。僕は「個人の美」よりも、どちらかというと何十年、何百年と変わらないであろう民族としてのファッションに美しさを感じる。また、美と同じように健康への意識にも違いがある。日本は平均寿命が劇的に伸びたことによって個々の健康を強く追い求めることが可能になった。いわゆる健康ブームである。いっぽう、チベットでは日本人ほどに極端に健康を追い求めることはないし、健康に関する情報で右往左往することもない。自分自身の健康に対する“まなざし”がいい意味で曖昧なのである。その曖昧さが日本人の僕には新鮮に感じられたものだった。

tibet_ogawa220_2VOGUE

もしも日本社会から鏡やガラスが少なくなったら「なにか」確実な変化が訪れると予想している。具体的には、たぶん、もう少しチベット的になると思う。たぶんだけれど自分のことで思い悩む人が少なくなると思う。病への不安や恐れがいい意味で曖昧になると思う。心や身体の問題を言葉や手段や理論で解決しようとすると、さらに複雑化していって、それ自体が悩みの種になりかねない。そんなとき「もしも鏡が存在しなかったら」について考えてみるだけでシンプルな思考に戻れるのではないだろうか。
ヴォーグ取材陣はこんな取りとめのない僕の話が意外だったようだが、企画はボツにならず無事掲載された。そして僕はヴォーグに載っている自分の写真をたまに見返しては悦に入っている。おかげで最近、けっこう自分の姿を強く意識しているようだ。


補足1
八世紀に編纂された『四部医典』には鏡が次のように登場している。「熱の病には手遅れか手遅れではないかの二つの分類がある。たとえば鏡を竈(かまど)の中に入れるようなもので、鏡が溶ける前に水をかけると効果的だが、溶けてしまってから水をかけても鏡は元に戻らない(結尾タントラ第27章)」。また、五妙欲供(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触角、それぞれへの供物)の一つとして仏前に捧げられ、仏画(タンカ)にはよく描かれている。

補足2
日本で発見されている最古の鏡は、弥生時代の青銅製の鏡である。古代の鏡は大半が青銅製であった。そしてガラス鏡の伝来となると江戸時代中期以降になってからである。しかし当時は大名とか一部の人のものでしかなかった。一般に普及したのは板ガラスが普及しはじめた明治40年以降となる。 『日常の化学辞典』(東京堂出版 2009)

補足3
最近の若いチベット人は鏡を見ながら個性的なファッションに凝っています。

補足4
メは火、ロンは起きる。光を集めて火を起こすことが鏡(メロン)の語源だろうか。僕の推測です。


【イベント】
企画中

【講座】
アムチ(チベット医)小川康さんのステップアップ薬草茶講座   1/12(金)・14(日)  生薬(きぐすり)の博覧会 -生薬の文化とサイエンス-
アムチ(チベット医)小川康さんが誘う  7/8(土) 森のくすり塾 ~スコップ片手に東秩父へ~


【旅行】
アムチ(チベット伝統医)小川康さんと行く  8/9(水)発 アムドの聖なる山アムネ・マチンにチベット医学の原点を求めて 8日間

第219回 ディクシン ~蠍~


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絵解き図に登場するサソリ

 ツアー参加者にはまず「チベット人の前では蚊一匹でもパチン!と手を叩いて殺してはいけませんよ。無意味に虫を殺さないでください」と注意を促すが、長年の身体性(習慣)は抜けないようで、みなさんついつい手が出てしまう。無理もない。僕だってチベット人と10年も暮らしたことでようやくチベット人的な身体性が身についたのだから。 (more…)

第218回 ドゥル ~蛇~


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絵解き図に登場する蛇

巨大なアオダイショウが実家の廊下を這っていく、その生々しい光景は40年が経過したいまでも脳裏に焼きついている。兄は蛇の尻尾をつかむとグルングルン振り回しながら僕を追いかけ、僕は泣きながら逃げ回った。蛇がトグロを巻いていると、両手の親指を隠して視線を合わせずに通り過ぎなくてはならない掟があった。こうして振り返ってみれば幼少期から蛇に囲まれて育ってきた。だが、いまもむかしも蛇は大の大の苦手である。それでいてマムシにまつわる話を全国各地の古老たちから聞くのが好きなのは、たぶん怖いもの見たさの好奇心ゆえであろう。いつも同じ話になるのはわかっているのだが、そのたびに「えーー、マジですか!」と驚くとともに、その度にやっぱり自分は現代っ子なんだなと、いい意味での自覚が生まれてくる。 (more…)

第217回 ドムティ ~熊胆~


tibet_ogawa217_1熊の胆

 現役の猟師であること、つまりいまも生死をかけた現場にいることがAさんの佇まいから伝わってきた。お歳をうかがうのを忘れてしまったがたぶん75歳くらいではなかろうか。

 信州の山深い里にAさんの御自宅はある。20歳から鉄砲を撃ちはじめ、いままで何頭の熊を仕留めたか数えきれない。熊に襲われ絶体絶命の冒険話はいくつもある。でも左目の上にある大きな傷は熊ではなくカモシカからの反撃を受けたときのものだという。熊を仕留めるとすぐに解体し、まずは貴重な胆嚢を傷つけないように取り出す。胆汁が体内に廻ってしまうと熊肉が苦くなって不味くなるためだ。取り出すとすぐに胆嚢の口を紐で縛り、専用の板で薄くはさんで乾燥に入る。かつては熊胆(ゆうたん)がとれると村中で分け合い貴重な薬として重宝した。もちろん熊胆は外貨を獲得するためにも役だち、かつて1gが3000円で取引された時代もあったという。 (more…)

第216回 シンメン ~農薬のはなし~


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「死ぬかと思った」。
あれは1994年、信州・野辺山の高原野菜農場でアルバイトをしていたときのことだった。「小川君、マルチの端っこを持ってて」と親方の命じられるままにマルチ(畑を覆う黒いビニール)をつかみ、地面に当ててじっとしていた。親方が運転するトラクターが作動し、マルチを引っ張りはじめた。トラクターの後ろからは何やら液体が噴出されている。そのとき、なにかがおかしいと思ったが、バカ正直な僕はその姿勢のままマルチを押さえ続けていた。すると、く、苦しい……。息ができな…く…なって…。死ぬ……。
「ごめん、ごめん。言ってなかったっけ。クロピクを使うときは息を止めて、顔を上げていないと死んじゃうよ」。慌ててトラクターを降りて、そう語った親方の爽やかな笑顔をいまでも忘れることはできない。 (more…)

第215回 ジュンクン ~薬の源泉~


tibet_ogawa215_1コウジバナ

 葉っぱの上に咲く小さな花を見つけた。「それはね、ここではママコグサって呼んでいるの。むかしは継子が憎くて、手の上にお灸をすえたからよ」と古老が教えてくれた。継子、つまり血のつながっていない子どものことである。そんな生々しい名前は、なぜだろう、正式な植物名ハナイカダよりも心に響いてしまう。次に黄色い小さい花をつけた木を見つけた。「あれはね、コウジバナって私たちは呼んでいたわ。ほら、花が麹に似ているでしょう」。丁寧に教えられても残念ながら麹を身近に感じない僕らの世代にはピンとこない。こちらはダンコウバイ(壇香梅)という学名のほうがしっくりきてしまう。そして僕が足元に咲く黄色い花を手にしたとき、 (more…)

第214回 チュ・ツァボ ~白湯の薬~ 


tibet_ogawa214_1学生を指導するダワ博士

 当初、チベット人のお宅で、いつも白湯(チベット語でチュ・ツァボ)がでてくることに戸惑った。日本人にとって白湯は薬を飲むとき以外、客人に出すのはあり得ない。水を出すとすれば氷水だからだ。そしてメンツィカンに入学後、「白湯は薬である」という意識がチベット社会に根付いていることを知ることになる。チベット医学では白湯を飲んで胃の消化力を上げることを重要視し、消化不良こそが万病の原因とされているのである(注)。八世紀に編纂された『四部医典』には次のように記されている。 (more…)

第213回 チャンキー ~狼の話~


tibet_ogawa213_1ラダック・ティンモスカン

「狼が人間を襲って食べたという確かな記録はない」という記述を見つけてページをめくる手が止まった(注1)。すぐさま15年前の記憶が甦る。
 2001年8月、メンツィカン入学前の僕はインド北部の秘境ラダックを訪れ。先輩のタシと一緒に大冒険に出かけた(第137話)。その途中、犬のような遠吠えが聞こえた。遥か遠く、500mくらいだろうか、犬のような動物の影が二匹見え隠れしている。「あれはなに?」と無邪気に尋ねる僕に「ああ、狼(チベット語でチャンキー)さ」と素っ気なく答えるタシ。 (more…)

第212回 デ ~米の話~


tibet_ogawa212_2よろける妻

 富山の田園地帯の米農家に生まれ育ったからといって米の味にうるさいかといったら、まったく逆である。なにしろ家の納屋には古米(昨年の米)ならまだしも古古米(一昨年の米)が常に備蓄してあって、当然、古い米から順に食べていくことになる。したがって小学校6年まで、正確には祖父が亡くなるまで、炊きたてでも黄色みがかった古古米を毎日食べていた。しかも、小石がたくさん混じっていて歯が欠けそうになった。たぶん、戦前戦後の食糧難の時代を生き抜いてきた祖父の世代の知恵なのだろう。年に一度、10月の秋祭りの日だけは真っ白な新米を食べられるのだが、あの日の米の美味しさと白さを感動とともに覚えている。何杯も何杯もおかわりしたものだった。たまに外食した時のご飯がとっても美味しく感じられた。昭和50年代になっても小川家だけはまだ戦後を生きていたのだ。 (more…)

第211回 ツァ ~塩の話~


tibet_ogawa211_2岩塩

そういえば小さい頃、塩といえば無粋な油紙袋に入った真っ白な食塩しかなかった。いつのころからか、赤みがかった自然塩が流通しだしたような気がしているが明確な転換点を僕は覚えていない。たぶん僕が田舎暮らしに興味を持ち始めた26歳のころだと思う。進学校で学び、国立大学を卒業し一般教養を深く学んだはずだったのに、塩に関わる重大な問題を学ぶ機会はなかったようだ。社会の大きな問題は意外と「そういえば」という無自覚と自覚の境界線に潜んでいるのかもしれない。 (more…)