小川 康のヒマラヤの宝探し

第250回 ドンシン ~松の木~


伐採した松を検分する棟梁伐採した松を検分する棟梁

森のくすり塾から東に500m離れた森(飛び地)には大きな赤松が数本生えている。そこで3年前、店の建設にあたって真ん中を支える梁に用いるべく赤松を3本伐採して製材した。しかし、いざ目のあたりにすると太くて独特の曲線美をもつ赤松梁は、素朴な店の雰囲気にそぐわない。結局は棟梁の新保さんに買い取ってもらい別の建築に使用してもらうことになった。 (more…)

第249回 チュッポ ~森の豊かさ~


ナメコナメコ

10月上旬、原木栽培(第223話)のナメコが一斉に大発生した。最初は「わ―、可愛いー」とはしゃいでいた妻も、大量ナメコ鍋を食べた翌日からは一気にテンションが下がってしまった。キノコ大好きの僕もさすがに食べ切れない。そこで近所の知人に配ったり、森のくすり塾にタイミング良く来店されたお客さんにプレゼントすることで、無駄なくナメコシーズンを終えることができた。やれやれ。しかし、考えてみればなんとも贅沢な悩みではないか。 (more…)

第248回 シントク・アマ ~柿の話~


色づく前の青い柿たち

 
父の後を追うように(第162話)、2015年、実家の柿の木が突然、枯れはじめた。おおよそ100年前から小川家で大切にされてきた樹木である。インターネットで調べたところウドンコ病ではないかと推察できたが、同時に、もしかして自分の愛情不足にも一因があるのではと考え込んでしまった。なにしろ柿の実と自作の柿の葉寿司が大好きだった父と比べると柿の木への想いはかなり薄い。僕は小さい頃から柿は嫌いではないが、好んで食べることはなく、先端がYの字の長い枝を操って柿を採る作業だけは大好きだった。インド・ダラムサラでは秋のごく短い期間だけバザールに並ぶが、異国の地で出会ってさえ「懐かしいなあ」と一瞥する以外、購入することはなかった。自作で柿の葉茶を作っていたこともあったが、そちらの興味も薄れつつある。ちなみにチベット語で柿はシントク・アマ(果実の母)と素晴らしい名前を冠っているけれど、チベット社会ではそれほど馴染みのある果物ではなく、四部医典には掲載されていない。 (more…)

第247回 シンツァ ~ケロリンの話~


ケロリンケロリン

 

 月に一度か二度、気圧の変動のせいなのか偏頭痛に悩まされるのだが、その度に僕はケロリンを飲んで治している。また毎日、通っている別所温泉の外湯においても、ケロリンの風呂桶を使っているので僕とケロリンとの親和性はとても高い。なにしろ僕のふるさと富山を代表する薬であり、頭痛、歯痛薬として大正15年の発売以来、いまも現役の薬である。ケロリンのパッケージは発売当時のまま、頭痛の女性と歯痛の男性がリアルに描かれている。ケロリンに限らず当時の富山の薬のネーミングは面白い。頭と歯の痛みに利くからズバリ(頭歯利)。ケロッと治るからケロールなどがある。 (more…)

第246回 ガンガ ~シャーマンと仏教~


タイムの仲間タイムの仲間

 

8月5日~12日、モンゴル草原のくすり塾を開講しました。今回は開講レポート第二回目です。

ちょっと珍しくて懐かしい薬草メハジキ(和名 目弾き)をゲルのそばで見つけた。短く刻んだ茎を目の瞼に挟んで弾いて遊んだことにその和名の由来がある。20年ほど前までは信州の河原や土手で群生しているのを見かけたものだが、近年は開発によって激減してしまった。 (more…)

第245回 パンツィトポ ~モンゴル薬草紀行~


フウロソウフウロソウ

 

モンゴル草原のくすり塾(8月5~12日)の開講レポート第一回目です。参考までに、滞在した風の旅行社直営ロッジ「そらのいえ」は緯度にして北海道の宗谷岬と同じくらい、標高は約1700mに位置しています。

 首都ウランバートルから車に揺られること約10時間、「そらのいえ」に到着すると、さっそく周辺をみんなで散策した。すると真っ先にフウロソウ(和名)が目にとまった。日本では標高1000m付近に生える高山植物の代表格である。チベット語ではガドゥルと呼ばれ、その太くて赤い根が薬に用いられる。ヒマラヤ薬草実習では鍬で根を掘り取ったものだったが、モンゴルではむやみに土を掘ることは禁忌とされていると、日本語ガイドのチンギスさんが教えてくれた。 (more…)

第244回 ハンブ ~抗生物質~


ペニシリンの化学構造ペニシリンの化学構造

 

原因はラッシー(ヨーグルトジュース)に間違いない。あれはメンツィカン入学前の2000年冬のこと。ヴェナレス(バラナシ)に到着後、ガンジス川のほとりのお店で大好物のラッシー2杯(15ルピー×2)を一気飲みしてしまった。すると3時間後、激しい悪寒と下痢に襲われ、翌日インドの病院に入院するはめになったのである。ガンジス川の水でラッシーを薄めたのではないかと思い当たっても後の祭り。僕は小中高校の12年間、一度も学校を休んだことがないほどに抗生物質はもちろん薬とはほとんど縁がなかった。しかし、30歳にしていよいよ抗生物質のお世話になるときがやってきたのである。それまで育んできた身体内の微生物環境がまっさらにリセットされる寂しさを感じたが悠長なことはいってられない。結果、抗生物質はインド人医者が驚くほどの劇的な効果を現し3日後には退院できた。2004年に肺炎に罹りかけたときも、ここぞとばかりに抗生物質を服用すると、やはり医者が「過去に例がない」と驚くほどの治癒力を見せた。それまで抗生物質に身体が慣れていなかったおかげである。こんな経験があるので、基本的に僕は抗生物質に感謝の念を強く抱いている。 (more…)

第243回 アイラグ ~馬乳酒~


馬乳しぼり片膝をたててバケツを置く独特の馬乳しぼりスタイル

 
 いよいよモンゴルへの旅が近づいてきた。そこで今回は木村肥佐生氏(以下、敬称略で木村)の『チベット潜行十年』を題材として戦前のモンゴル医療事情を考察してみたい。木村は1922年(大正11年)に長崎県佐世保に生まれた(1989年逝去)。昭和14年にモンゴルに渡りモンゴル語を修得する。昭和18年から日本軍の命を受けチベット地域の調査のためにモンゴル人巡礼者ダワ・サンポの偽名を用いて潜行。日本の敗戦をチベットのラサで知ることになる。本書は昭和25年に日本に帰国するまでの12年間にわたるモンゴルとチベットに関わる詳細な記録であるが、次の記述に注目していただきたい。 (more…)

第242回 バリアチ ~モンゴル伝統医学~


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  チベット医学文化圏(注1)の一つ、それがこの夏に初めて訪れるモンゴルである。モンゴルとチベットの歴史は古く13世紀まで遡る。元の皇帝クビライ・カンがチベット仏教に帰依し、チベットと「施主と帰依拠」の関係になったことからモンゴルでチベット仏教が広まった。それに付随してチベット医学も伝わった。十七世紀には清朝がチベット仏教を優遇したおかげもあり『四部医典』のモンゴル語訳が完成。これが外国語訳の第一号である(注2)。そして1961年、四部医典がモンゴル語から日本語に重訳されてはじめて日本に伝わっている(注3)。その内容を読むと、日本語訳とチベット語原文が見事に一致していることから、その間を取り持ったモンゴル語訳が正確であることがわかる。しかもチベット語原文と同じく詩文形式で訳されていることは驚きに値する(第221話)。 (more…)

第241回 シンカ ~医学と農業~


薬房の前の畑薬房の前の畑

 

 もともと自分の薬店を持ちたいという夢はなかったし、そもそも僕はいまも昔も自分で商売を営む才覚はない。メンツィカン卒業後、日本へ帰国してからの仕事の第一希望は大学講師か、いずれにしても医学教育関係の仕事に就きたかった。しかし、世の中そんなに甘くはない。どこからも声が掛かりそうにないというあきらめとともに「お店を建てようか」とはっきりと自覚したのは2015年春のラダック旅行が切っ掛けだった。そのときの強い思いは帰国後の5月12日『ヒマラヤの宝探し』第178話のなかで読者のみなさんに向かって宣言している。 (more…)