第343話 バツァ ~昆布塩~ チベット医・アムチ小川の「ヒマラヤの宝探し」

長編小説『潮音(ちょうおん)』(クリックでamazonへ)全四巻を読了した。幕末、富山の薬売り川上弥一を主人公とした激動の物語である。八尾、岩瀬、高岡、伏木、倶利伽羅など、その距離と土地の雰囲気が実感できるので、富山で生まれ育った僕は一段と楽しむことができた。

 物語の最初のクライマックスは1862年に京都で起こった寺田屋事件である。薩摩藩士のなかでも過激派たちの不穏な動きを察知し、薩摩藩主・島津久光に報告したのは弥一を含めた薩摩担当の富山の薬売りたち。結果、薩摩藩士による激しい同士討ちとなり、「おいごと刺せ―」は歴史に残る叫び声として後世に語り継がれている(注1)。富山藩は加賀・前田藩の支藩であり、つまり徳川幕府に近い立場でありながら、薬売りたちは独自の判断において薩摩藩に全国諸藩の動静を逐一報告した。維新後は「討幕を成し遂げたのは越中さん(富山の薬売り)のおかげ」と鹿児島県で語り継がれ、僕も鹿児島県民からその声を実際に耳にしたことがある。そもそも薬売りは各家々の縁側に腰を下ろし病の相談にのることで先方を安心させ、より深い話を聞き出せることから、結果、隠密・密偵として期待されたという側面があり(注2)、逆にプロの隠密は薬売りに身を隠すことで情報を収集しようとした。

富山駅前の薬売りの銅像

富山駅前の薬売りの銅像

 ではなぜ、富山の薬売りと薩摩は深い仲になったのか。その背景には蝦夷を起点として富山、薩摩、清国へとつながる密貿易があったとされる(注3)。富山側は清国からの麝香、甘草、大黄など貴重な唐薬種を切望し、財政難に喘いでいた薩摩は清国との輸出入における仲介利益を求め、蝦夷の人びとは富山の米を必要とし、そして清国は蝦夷の昆布を喉から手がでるほどに求めていた。清国の内陸部ではヨード不足が原因による喉(甲状腺)の腫れの風土病に悩まされており、ヨードを大量に含有する昆布が唯一の特効薬だったのである(注4)。内陸に位置するチベットの医学書『四部医典』のなかには「昆布塩(チベット語でバツァ)は喉の腫れ(バワ)を破壊する」(釈義部第20章)と記されており、昆布と喉(甲状腺)との関係にすでに気がついていたことがわかる。もしかしたら1800年代、蝦夷、富山、薩摩、琉球、清国を経由してチベットに昆布が届いていたらと想像すると、ふるさと富山とのつながりが生まれて嬉しくなってくる。そして、それから150年後のメンツィカン研修医時代(2008年)には、喉の病気の患者はほとんどいなかったことから、ヨード接種による改善が進んでいたことがわかる。

富山の薬

富山の薬

ちなみに富山は昆布が産出しないにも関わらず昆布消費量は現在も全国一位であり高岡には昆布専門店がある。刺身を保存する昆布絞めに用いられ、おにぎりは白いふわふわのとろろ昆布で握られ(僕はこれが苦手だった)、かまぼこも昆布で包まれ、さらには昆布パンがある。その昆布の仲介をすることで薩摩藩は莫大な利益をあげ、後に討幕の資金源となっていった。つまり昆布が日本の歴史を動かしたともいえる。  
潮音は四巻もあるだけに多くの読みどころがある。そのなかで僕の心にもっとも響いた一節を最後に紹介したい

とろろ昆布

とろろ昆布

風邪を治す薬なんてないし、腎、肝、胆の臓の病も治せない。労咳ときたらお手上げだ。梅毒、淋病、疱瘡、麻疹、みんな治せないさ。これはオランダや他の西洋の薬もおんなじだ。薬で治せる病気なんて、ほんのちょっとだ。虫下しぐらいかな。病気はその人が自分の力で治すんだ。富山の薬はその手助けをするんだ。 (第一巻P391)

才児さんの、風邪に効く薬はありませんていう言葉も気に入ったよ。薬屋が、薬は病気を治しませんなんていえるもんじゃないぜ。   (第一巻P475)

僕はチベット薬を含めて薬草に関して、「〇〇に効きますよ」と歯切れよく語ることが今も昔もたいそう苦手である。その結果、チベット医学の神秘や薬草の奇跡を期待する人たちを失望させてしまうことが多々あった。でも、きっとそれは薬と謙虚に関わる富山の県民性であることを知って、ようやく肩の荷を下ろすことができたのである。等身大でいい、大きく見せる必要はない。それが富山のくすり売りの「心意気」であり、300年と受け継がれてきた理由なのだろう。ぜひ、ご一読ください。

17世紀に描かれたチベット医学絵解き図のなかの昆布塩

17世紀に描かれたチベット医学絵解き図のなかの昆布塩

注1
敵方を両手で抱きかかえながら味方の同士に向って叫んだ言葉。

注2
富山の売薬商人たちが日本中から持ち帰る各藩の事情は、どこの家の飼い猫が何匹子を産んだという下世話な話から、藩主が家臣の妻女に手をつけて、それが発端となって隠居させられたが、幕府にはひた隠しにしている、といったお家問題まで多岐にわたります。(第三巻P103)

注3
越中富山の売薬が全国に販売網を拡げますと、薬の材料の供給が欠くべからざる重要な案件となっていきました。 中略  一方、薩摩藩では年々清国からの要求が増える干し昆布の調達に頭を悩ませておりました。需要が多くて金になる干し昆布は蝦夷地から大量に運ぶしかありません。薩摩藩は、越中富山の薬種商や廻船問屋と密な合議を重ねて、北前船での海上輸送に賭けることになります。弘化四年(1847)であったと聞いております。(第一巻P46)

注4
とくに目についたのは、のどが大きくふくれる病気の人たちが多いことである。この病気をチベット人はバーとかバーホと呼んでいる。彼らは水に原因があるといっているが、原因はヨード分不足。この病気は、ラサその他チベット全土に多い。『チベット潜行十年』木村肥佐生第243話) 中公文庫

参考
『潮音 第一~第四』宮本輝 文藝春秋 2024~2025年
著者の宮本輝さんは富山県で幼少期を過ごした縁で、『蛍川』など富山を舞台にした小説をいくつか発表している。

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