金毘羅山の聖と俗

金毘羅宮参道の長い石段

金毘羅宮参道の長い石段


11月上旬、参加者の一人として川﨑一洋先生がご案内する風カルチャークラブの国内ツアーで高知県の四国八十八か所のお寺数か所をめぐってきました。その様子は、添乗を務めた弊社の川崎(講師の川﨑先生とは別人)から報告があったのでそちらをご覧ください。ツアーに参加するためにせっかく飛行機で高知まで行ったので、もう1泊お休みをとって香川を訪れて金毘羅山、善通寺などを訪れて、うどんを楽しんでから瀬戸大橋を渡って岡山周りで帰京することにしました。

ツアーの最終目的地である大日寺から最寄りのくろしお鉄道ごめん・なはり線の「のいち」駅から土讃線の「ごめん」駅へ。そこで土讃線の特急「南風」に乗り換えて香川県方面に向かいます。朝ドラの影響でごめん駅(ドラマでは御免与)はアンパンマンだらけです。土讃線で北上すると、景色はやがてすっかり山の中、いつのまにやら峠を越えて徳島県に入ります。吉野川沿いに下っていくとやがて大歩危小歩危渓谷へ。残念ながら紅葉の色づきは2割ほど。見ごろは10日ほど先でしょうか? 池田高校で有名な三好を抜けると再び列車は山の中へ。山を抜けて平野が見えてきたと思ったら目的地の琴平です。海沿いのわずかな平野部を除くとほとんどが山地という印象です。高知でバスのドライバーさんが「実は四国は山ばかりで、8割が山地なんですよ」と仰っていたことを実感しました。

琴平といえば「こんぴらさん」、金刀比羅宮の門前街です。「こんぴらさん」はインドのクンビラ神がその原型。もとはガンジス川に棲むワニが神格化されたもので、水運の神とされます。その名を冠したネパールのクーンブ地方(エベレスト方面)にあるクンビラ山は現地のシェルパたちに聖山として崇められています。インドのクンビラ神はやがて仏教に取り入れられ、薬師如来の眷属である十二神将の1つ宮比羅(くびら)大将となります。やがて船乗りたちにとっての海上安全の神様となり、江戸時代には「金毘羅参り」で多くの参拝者が訪れたそうです。

琴平駅に到着したのはすでに夕方で、観光客の賑わいが終わった後でした。宿に荷物を降ろして、閑散とした参道を夕飯のお店をさがしつつ街を散策します。すると神社の門前街には不似合いな派手なネオンサインが輝いているのが目に入り、ギョッとしました。なんと川の向こう側に風俗店の大きなビルが建っています。江戸時代のお伊勢参りや大山参りなど、昔から寺社仏閣へのお参りと遊郭での精進落としはセットになっていますが、その名残でしょう。調べてみるとその付近には昔は遊郭があったそうです。

金毘羅山からの讃岐平野 遠くに瀬戸大橋

金毘羅山からの讃岐平野 遠くに瀬戸大橋

翌朝、パンとコーヒーで軽い朝食を取り8時前から、まだ参拝客のいない時間に長い石段を登り始めます。同じように朝イチに参拝しようとする参拝客をチラホラ見かけますが、人気のない参道は前日から掃き清められていて清々しい気分です。御本宮までは石段が785段、30分ほどで御本宮にたどり着きます。本宮の標高は251m。御本宮の前は広場になっていて、讃岐平野と美しい「讃岐富士」とも呼ばれる飯野山が眼前に広がり、遠くには瀬戸大橋まで一望できます。麓の賑やかな門前街、参道と、御本宮の静謐な空間が聖と俗の対比を感じさせてくれます。さらに、御本宮の裏には深い森が広がり、奥の院までの道が続いています。まさに「聖域」という感じです。

宮本常一などによれば、高い場所が「聖なる場所」、低い場所が「俗なる場所」という考え方は、日本の富士山信仰や山岳信仰などに顕著に見られます。金毘羅山では山上の聖域と下界の俗世の対比、特に川向こうにある風俗街によって区分される世界観が分かりやすく示されており、非常に興味深く感じられました。

四国は山がちで平野部が少ないので神々の世界である山上の聖域と俗界との距離が近いようです。また周囲を海に面しているため、海の神への信仰も深いという特徴もあります。このあたりの背景がお遍路文化を育んだという説もあるそうで、そんなことを少し調べてからまた訪れてみたいと思った四国の寄り道でした。

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