白髭神社は、琵琶湖のほとりを走る国道161号線の脇にある。参道らしきものはほとんどなく、拝殿とその奥に棟続きとなっている本殿も、背後から聞こえる車の走行音をBGMに参拝することになる。まるで「参道は湖の中にあったのでは?」と思わせるように、拝殿の正面、約50メートル先の湖中には大きな鳥居が立っている。朱塗りではないが、かつては鮮やかな朱で彩られていたに違いない。堂々とした風格である。
創建は垂仁天皇25年(紀元前5年)と伝わり、2000年以上の歴史を有する。ご祭神は猿田彦尊。近江最古の神社とされている。ただし境内はそれほど広くなく、囲いもない。参拝客は次々と車を駐車場に止め、20分ほどで気軽にお参りして立ち去る。そうした気軽さもまた魅力だ。
昨日、品川を午後3時ごろ新幹線で出発し、夕方には大津に到着した。京都から大津まではローカル線でわずか10分、その近さに驚いた。朝、大津駅近くでレンタカーを借り、白髭神社へ向けて琵琶湖沿いをゆっくり走るつもりだったが、ナビに誘導されて山沿いのバイパス、恐らく無料の高速道路へと進んだ。2025年秋には「琵琶湖西縦貫道路」として完成するという。この道路は風よけの壁に囲まれ、琵琶湖の景色は一切見えない。渋滞対策なのだろうが、どこを走っているのか分からず、『街道をゆく』で司馬遼太郎が歩いた「湖西の道」とはまるで異なる。少々残念だった。次回は車を停めて、湖西線でゆっくり北上するのも良いかもしれない。琵琶湖は一周200kmもあり、1週間かけて楽しめそうだ。
その後、無料高速道路を戻り比叡山へ向かった。比叡山は敷地が広く、3時間ほど滞在したがとても見きれなかった。せめて根本中堂だけでも、と思っていたが、改修工事中で全容は覆いに包まれ、内部の一部しか見学できなかった。「そんなことも事前に調べなかったのか」と笑われそうだが、私の旅行はいつも行き当たりばったり。こういう時は「まあ仕方ない」と諦めることにしている。
その後レンタカーで坂本に下り、日吉大社へ向かったが、夕方4時半を過ぎており、参道は歩けたものの境内には入れなかった。全国に約3800社ある日吉・日枝・山王神社の総本社であり、神仏習合を特徴とする山王信仰の中心地でもある。天台宗山門派の本山・比叡山延暦寺の鎮守神であり、中世以降は「山王大権現」などと称されてきたが、戦後からは「日吉大社」と呼ばれるようになった。鬱蒼とした森の中に鎮座し、熱田神宮を思わせる雰囲気だった。参拝客はすでにおらず、静寂さが際立っていた。社務所に向かう巫女さんたちの甲高い声が森に響いたのが印象的だった。
翌日は三井寺を訪れた。天台宗寺門派の総本山である。平安時代の文献で、注釈なしに「寺」と書けば三井寺、「山」と書けば比叡山延暦寺を指すほどの存在である。正式名称は「長等山園城寺」。その名の通り、比叡山の北側、長等山の中腹に位置する。平安時代以降、東大寺、興福寺、延暦寺とともに四大寺院の一つとされてきた。国宝64点、重要文化財720点という膨大な文化財を所蔵する古刹である。
正暦4年(993年)、円珍派は比叡山を下り三井寺に入り、円仁派と対立。この時から円仁派を「山門」、円珍派を「寺門」と称して激しい対立が続いた。この争いは天台宗内部にとどまらず、中央政界をも巻き込んだ政治的抗争へと発展した。戦国時代には何度も焼き討ちに遭いながらも、そのたびに不死鳥のごとく蘇り、南都の大寺を凌ぐ勢いで発展を遂げた。
それにしても、なぜ宗教は分派し、時に激しい対立を生むのだろう。十三宗五十六派ともいわれるが、目指すところはそれほど異なるとは思えない。それが私の長年の疑問である。(次回につづく)