世界遺産「明治日本の産業革命遺産」を御存じですか

遅めの夏休みを取って10月中旬に津和野、萩、山口を廻ってきた。羽田から早朝のフライトで萩・石見空港に飛び、空港でレンタカーを借りて津和野へ直行。萩で時間をたっぷり取りたかったので、津和野では太皷谷稲成神社を参拝し、殿町通り・本町通り、津和野カトリック教会を見学しただけで萩に向かった。山陰の小京都といわれるだけあって、歴史を感じる静かな町だった。

津和野から萩に向かう途中に「大板山たたら製鉄遺跡」がある。幹道から脇道にそれて、車ですれ違いもできそうにない山道を20分ほど入ったところにあり、大型バスは到底来そうにない。実際、あまり訪れる人はいないらしく、世界遺産の解説展示を行っていた事務所の女性2人に大歓迎され、じっくり説明をお聞きすることができた。

周知の如く、たたら製鉄は日本に古来から伝わる製鉄法で、主に砂鉄を木炭で還元して鉄を作る。純度の高い鉄ができ、日本刀などに使われる。その際に使う鞴(ふいご)のことを「たたら」という。しかし、大砲は粘度の高い丈夫な鉄が大量に必要になる。そのために長州藩は、反射炉を佐賀藩まで出向いて見学し、試作した。それが「萩反射炉」である。実際には使用できなかったようだが、西洋列強に負けまいとする当時の長州人の心意気がうかがわれる。

日本は1853年の黒船来航以来、何とか自力で戦艦を作ろうとするが、薩英戦争、馬関戦争でその差を自覚し、艦船を輸入して海軍力を整えてきた。官営八幡製鉄所が1901年に操業を開始したことで、黒船来航から約50年で、日本はアジアで唯一産業の近代化に成功するが、日露戦争ですら旗艦・三笠などの戦艦は英国から輸入している。

しかし、その第一歩は、こうした「恵美須ヶ鼻造船所」などの挑戦がすべての始まりになった。鉄道に関してもそうだ。日本人は、まずは模倣してでも自分で作ろうとする。なければ買えばいいとは考えない。これこそが、日本がアジアで一早く産業の近代化を果しその後の発展を遂げた理由であろう。船を買って海軍を整えたが、自作を諦めることはなく、ひたすら挑戦し続けたのである。

話を戻そう。2015年に官営八幡製鉄所や三池炭鉱、鹿児島の旧集成館など、8県11市にまたがる23箇所が「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に登録されている。「大板山たたら製鉄遺跡」もその一つである。同時に「松下村塾」、「萩城下町」、「萩反射炉」、「恵美須ヶ鼻造船所跡」が同世界遺産に登録されている。世界遺産だから観てみようとは全く考えていなかったが、逆に、よくこれらを一つの概念に括って世界遺産に登録したものだと感心してしまった。

翌日、宿から少し距離があったので車を使い、朝一番で「恵美須ヶ鼻造船所跡」、「萩反射炉」を観に行った。「大板山たたら製鉄遺跡」のように説明展示はなく解説看板しかなかったが、昨夕の「大板山たたら製鉄遺跡」での丁寧な解説が下地になっていて、地味な世界遺産の見学をとても意味のあるものにしてくれた。

その後は、宿の自転車を借りて「松下村塾」、「萩城下町」を廻った。いやはや、萩は見応えがある。とにかくどこへ行っても吉田松陰の話が必ず出てくるが、この続きは来週にする。

追伸
今回泊まった萩の宿「雁嶋別荘」のレストランに「六曲一双」の水墨画屏風がありました。6つ折りの屏風が2枚1組の屏風です。前回のこの稿で、俵屋宗達の風神雷神図屏風を「一曲二双」だと私が書いたら、10月から弊社のオンライン講座「シルクロードの仏教美術講座」の講師・中野照男先生から、「二曲一双」の間違いだとご指摘を頂きました。お恥ずかしながらご指摘の通りで、知ったかぶりをしたことを後悔しました。実は間違えたのはChatGPTなのですが、それを信じた私が悪い。情けない話でした。中野照男先生、ありがとうございました。

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