遠野物語と民謡

先月、「赤坂憲雄先生とめぐる・遠野物語の旅へ」が無事、盛況のうちに終了し、今回はとても不思議な方々にご参加いただいた。愛知県安城市で“Tご夫妻”が主催する「唄と三味線」の教室の方々である。実に明るいみなさんで、いろいろなことに興味津々。他の参加者の方々にも伝染しバスの中、散策中にも笑いと笑顔がたえない旅であった。

実は出発前日にバス会社から緊急の連絡が入り、立寄る場所に“熊”の目撃情報がでているので「その場所を避けるか、バスの車窓からながめるだけにしたほうがよろしいでしょう」とのこと、赤坂先生と相談したが「まあ、注意して行動しましょうと」というしかなく、多少の不安をかかえながら始まった。

カッパ淵のキュウリ

初日には遠野駅より西北に位置する高清水高原にバスで登り、遠野市内や東方の釜石につうじる北上高地の山なみや峠を眺め、遠野盆地のやさしい風景を目にやきつけた。運転手さん曰く「朝早くここに登るとこの時期は雲海がすばらしい」と前日に撮った携帯の写真を見せてくれた。その後、遠野物語の語り手・佐々木喜善の生家、土淵町山口集落に向かいデンデラ野を訪ねると入口には熊出没・進入禁止の看板があり、先生の話しを聞くだけにとどめ、次に常堅寺境内のあのカッパ淵を訪ねた。キュウリを餌にした縄や釣り竿があり、たくさんのカッパを釣るらしい。残念ながら餌にかかったカッパを見かけることはできなかった。(翌々日、駅前の観光協会に立寄ると、熊の出没によりカッパ淵が立ち入り禁止になっていた。)そして綾織町新里の五百羅漢(ここも入口だけ)に立寄り、市内のホテルに向かった。ホテルでは語り部の民話を聞き、夕食を取りながら自己紹介と対話が始まった。赤坂先生からTご夫妻の教室のみなさんはどのようにしてこのツアーを知ったのか、と問うとTさん(旦那さま)が赤坂先生の本をよく読まれているとのこと、きっかけは「境界の発生」だとおっしゃった。Tさんは芸能史などの研究をしており、行きついたのが「赤坂憲雄さん」だとはなされた。「境界の発生」はこの教室のかなりの方が目をとおしており、先生の初期作の話題で盛り上がったゆうげであった。

二日目、貞任(さだとう)高原に向かった。牧場と風車がある山で、遠野盆地がよくみえる。名前がいい、まつろわぬ人々の一人、安倍貞任の名を冠した山である。蝦夷の族長アテルイや貞任好きのKさんが大喜びしている。うん、とても自由でいい。笛を吹き鳴らしている人もいるし、草原の中に寝転んでいる人たちもいる。そして昼食時にTさん(奥さま)がなんと青森三戸の民謡「南部俵積み唄」をご馳走してくれた。歌詞の中に「出雲の国の大福神」がでてくる。出雲ご出身のKさんがまたまた感動して、この東北の南部にどうして出雲の大福神がでてくるのかと松本清張の小説「砂の器」を話題にしながらにしきりに不思議がっていた。そしてこのツアーのハイライトでもある「早池峰神社」へ向かった。霊峰「早池峰山」を奥宮とするこの神社、奥深く静かな聖地である。ただ、あまり人も詣でないのか社の老朽化が気になった。

早池峰神社で赤坂先生の話を聞く

この日は早めにホテルに戻り、赤坂先生をかこんで対話集会をホテルのロビーで行った。皆さん、多くのユニークな質問を先生にあびせたのだが、先生の回答があちこちにとび、それがまた面白い。先生の話の中に(オンライン講座でもふれていたが、)早池峰山と青森県の岩木山は、狼煙で繋がっていた、という伝承があり、それを証明する為に、某大学チームが早池峰山頂から狼煙を上げて岩木山から確認できるかどうかという実験を行い、見事に確認できたという。国土地理院の地図で両山の直線距離を計測すると約158kmもある。まつろわぬ人たちは和人たちとの境界の山々から北へと情報を伝えたのであろう。

遠野盆地の雲海ホテルより


この文章もあちこちにとんでしまったので、ツアーに参加された方々のことを上手く伝えられたかどうかは、はなはだ疑わしい。ただ先生を含めて参加された皆さんの笑顔は、めったに見ることがない強烈な印象としてのこっている。

最後に「南部俵積み唄」の歌詞を記して終わりにする。

『南部俵積み唄』
ハアー 春の始めに この家(や)旦那様サ
七福神がお供してコラ 俵積みに参りた
ハアー この家旦那様は 俵積みが大好きで
お国はどこかとお聞きある コラ
私の国はナア コラ 出雲の国の大福神
日本中の渡り者 コラ 俵積みの先生だ

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