藤原新の挑戦

つむじかぜ395号より

ロンドン五輪で、まさかの大失速で45位に終わったマラソンの藤原新選手が、日本経済新聞紙上で、その敗因を自己分析していた。その内容を一言で言えば、「平常心で臨めなかった」ということだった。「あれ?彼らしくないじゃないか!」そう思う人も多い違いない。「マイペースで、精神的に強い男」そんなイメージを私も持っていた。企業の所属選手を自らけって、敢えて自立したプロランナーだ。その反骨心に注目していたのに残念でたまらない。

『五輪代表になってからは、メディアに取り上げられることがどんどん増えました。そういう中で、心の底でいつも、五輪で失敗したときのことを考えてしまっていました。日本の陸上界の中ではアウトロー的な存在なので、失敗したら、たたかれるだろうな、と想像していたのです。「ほら、見たことか」と言われるだろうと覚悟していたのです。そういうことを考えてしまうことが、ストレスにもなっていました。』(8/22日本経済新聞の藤原新の弁から抜粋)

何を言われたっていいじゃないか。正々堂々と勝負に勝って五輪選手になったのだから。ただ、藤原新は、企業所属選手と違って、この五輪に、その後の人生が掛かっていた。それが大きなプレッシャーとなりストレスになったに違いない。自分の体そのものが商品である。失敗しても誰のせいにもできない。きっと胃がキリキリしてたまらない時や、眠れない夜もあっただろう。その意味では、彼も、経営者であり、他の選手とは全く違っている。それにしても、苦しい選択をしたものだ。立派だと私は思う。

彼は、大会直前の1カ月間、標高1700メートルを超える高地のサンモリッツでトレーニングを積んでいる。トレーニング後は、練習のタイムもずっと良かったので、大丈夫だと思い込んで、細かな点を見逃し、フォームの狂いが生じていたのに気づかなかったかもしれない。と分析している。

五輪前になっても、いつもなら常に修正することに神経を使って、修正を繰り返して本番を迎えるのに、「これで大丈夫なんだ」と、変に自信も持ってしまった感じになったそうだ。技術的な失敗というよりは、やはり心の問題だったと言えよう。適切なアドバイスをくれる人が、傍にいなかったのだろうか。自分だけで、何もかもやろうとしたしたなら、そのことを大いに反省すべきだ。個人力ではなく、自分も含めたマネージメント力が必要なはずだ。

どうしようもない孤独感は、なかなか家族でも癒せないに違いない。唯一、気持ちを晴らすのは、目の前の事態を打開し、成果を手にすることだ。もう彼は、次のレースに向かってスタートを切ったそうだ。プロだから迷いはないだろう。食べていかなきゃならないから前に進むしかない。もう一度、4年後に向けて挑戦して欲しいと思う。

★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。

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