志村けんさん

「くだらんテレビを見るんじゃない」親からそう叱責を受けても、『8時だョ!全員集合』は見ていた。てっきり小学生の時だったような気がしていたが、1969年10月、私が中1の時にこの番組はスタートしている。

そういえば、中学の同級生で加藤茶の真似をしては先生に怒られていた同級生がいた。どこのクラスにもそんな「お調子者」がいただろうが、彼はその後、小学校の先生になった。みんなから「児童に注意できるのかあ?」と同級会でからかわれていた。

ドリフのスターは、加藤茶だった。「ちょっとだけよ、あんたも好きねぇ〜」とストリップを真似て踊る。加藤茶のバカ受けギャグだ。確かに、親からすれば、見せたくない番組だったに違いない。「低俗だ。くだらない!」と酷評された理由も分かる。

志村けんが登場したのは、もうすっかりドリフが人気者になってからだった。調べてみると、1973年12月に、初登場。荒井注と入れ替わりだ。当初は、他のメンバーとの違和感ばかりが目立って人気がなかったように記憶している。1976年3月に『東村山音頭』で大ブレーク。加藤茶に取って代わってドリフの看板スターになっていった。

今回、新型コロナであっけなく亡くなってしまったが、「日本の喜劇王」とまで評され、お兄さんも嬉しかったと思う。しかし、こんなことであっけなく死んでしまうのかと誰しもが口惜しく思ったに違いない。今まで私は、芸能人の死で涙を流した経験はないが、今回だけは目頭が潤んだ。

他人事ではないと私も思う。次は我が身である。この事態では仕方がないことかもしれないが、お兄さんですら遺体との対面が叶わなかったという。せめて骨くらい拾いたかったに違いない。ご冥福を祈る。

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