アメリカ大統領選挙

私は、只々あきれるばかりだが、アメリカ大統領選挙を見ていると民主主義の意味が分からなくなってくる。正義とか公正とかいう大義も、我田引水で主張し合うなら、そもそも正義も公正も存在し得ない。私利とは本来離れたところに正義とか公正はあるはずだ。

日本の選挙の公正さを疑う人はまずいないだろう。もちろん、選挙違反も買収もあるが、投票そのものの公正さや、その結果に従うのは当然だし、まして訴訟になるなどということは考えられない。日本の学校現場で、教師たちは、この大統領選挙を教えるのか。民主主義とは、実は、声が大きいほうが勝つことだ、とでも教えるのだろうか。多数決で決めるが、少数意見も尊重されなくてはならない。 私は、小学生の時、先生から散々学級会のやり方を教えられたし、研究授業まであったことを覚えている。あれは、いったい何だったのだろうか。

逆に、どうしてこんなに日本人は、正直で厳格なのかとすら思う。色々言われるが、日本人には、“恥”という概念があるからだろうか。「どんなに渇しても盗泉の水は飲むな」という教えがあるが、アメリカにはないのだろうか。“恥”だって“誇り”だってアメリカにもあるのではなかろうか。

ただ、「日本にとってどちらがいいか」といった観点での評価があれこれされているのが悲しくなる。アメリカをプラグマティズムと非難しても、これでは同じことだと感じる。そんなこと以上に、2024年までの4年間の国際関係がどうなるのかが心配だ。分断と罵り合いが、今後も続くのかと思うと憂鬱になってくる。また、政治も何もかもディールとしか見ない態度が世界を席巻するなら寂しいことこの上ない。

毎日、8万人のコロナ感染者が出ても、何事もないかのように、罵り合って人々が争っている姿に、さぞやコロナウィルスも呆れていることだろう。私は、本稿には、あまり政治的なことは書かないようにしているが、今、私たちは、コロナ禍で途端の苦しみに喘いでいる。それでもじっと我慢して再起を期しつつ日々を送っている。アメリカにだって同じように苦しんでいる人が大勢いるのに。そう思うと腹が立ってきて、今日は一言書きたくなった。

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