『史記』を読んで

家に帰るのが早くなり、就寝までに時間があるので映画を観るようになった。もう、そうなって一年以上がすぎた。映画も大分飽きてきたので本を読む時間が増えてきた。今は、北方謙三の『史記』を読んでいる。その前に『ワイルド・スワン』(ユン チアン著、講談社文庫)を読んだが、精神的に結構疲れたので、すこし軽いものが読みたくなったからだ。

周知の通り、前漢の武帝・劉徹と武才を揮う衛青の話である。劉徹は、長城に象徴される守勢に飽き足らず、北の脅威・匈奴を攻め滅ぼしたいと欲している。守るための軍ではなく攻めるための軍を作りたい。それを実現させたのが衛青だ。
モンゴルには何度も行っているから匈奴が駆け巡る草原は、きっと今のモンゴルの大草原とあまり変わらないだろうとつい想像してしまう。匈奴にとっては、草の良し悪しで土地の価値がきまる。遊牧ができる土地がいい土地だ。逆に、農耕民族にとって遊牧しかできない草原は不毛な土地でしかない。だから、漢人は、匈奴の土地まで攻め込んで領土を増やしても意味がないと考え、市で匈奴が欲しがる漢の品物が手に入るように懐柔し、戦いは出来るだけ避けて現状を維持する。それで守勢ということになる。

もちろん、匈奴の強さが脅威だったことも守勢に立たせた要因だ。匈奴の遊牧民の男は、平時は遊牧しているが戦いのときは兵士になる。戦捷の恩賞は、単于(ぜんう)からの略奪の許可であり領土を分け与えられることではない。今は、ウランバートルに住むモンゴル人は、土地にも財産にも執着があるが、モンゴル人には、遊牧民の魂が今も流れている。今でも、強き者が生き残り弱き者は従う。年配者を大切にして敬うが戦いは別である。

それにしても、この時代はまだ鐙がなく腿で馬を締め上げて騎乗する。それで戦うのだから子供のころから馬に乗っている匈奴の兵士に、漢の兵士が敵うはずがない。漢の軍は歩兵が中心。騎馬隊は脇役に過ぎない。それを衛青が変えた。匈奴は際立った騎馬の術をもった兵士の個人プレイ。衛星は、組織だった騎馬隊を作りこれに対抗し勝利していく。なるほど、これまた納得である。モンゴル人も個人の強さを尊ぶ。組織より個人。

文明は生活を猛スピードで変えてきた。しかし、底流に流れる魂は不変ではないが、簡単には変わらないものだと改めて感じる。日本人もそうだ。コロナへの対応はまさに典型だ。先々ビジョンを描いて、もし間違えたら責任を追及されるから、目の前への対応しか語らない。今、二、三か月先を予測すれば再び感染が拡大するのではないかと多くの人は思うだろう。しかし、聖火リレーは始まり、オリンピック・パラリンピックをやらない選択はないと橋本会長は言い切る。私もやってほしいとは思うが、何故、今そう言い切れるのか分からない。何か、根拠になるデーターを持っているのだろうか。Go Toも6月再開で検討されているらしい。本当に、解らないことだらけだ。

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