ウクライナ侵攻

まるで20世紀の悪夢を見ているような気分になった。ロシアが軍隊をウクライナとの国境に配備しても、所詮、ブラフであり有利に事を運ぶための見せかけに過ぎない、と思っていたがそうではなかった。どうも、随分前からプーチン大統領は武力侵攻を決意していたように思える。挙句の果てに、核まで使うという見方まで出てきた。これでは、独裁者が感情のままに核のボタンを押す風刺漫画、映画の世界ではないか。

今話題となっている2021年7月12日に発表された「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性」というプーチン大統領の論文を読んではいないが、1925年発行のヒトラーの「我が闘争」と重なる。内容は、1989年11月ベルリンの壁崩壊、1991年12月ソ連崩壊といった歴史をすべてひっくり返す話のようだ。挙句に、多々異論があるにもかかわらず、ウクライナをロシアと同じ民族だと規定し、ウクライナで虐げられるロシア民族を救え、といった民族主義を基調にした新たな国家体制を模索しているようだ。それでは、ソ連ではなく嘗ての帝政に近いとすら感じてしまう。また、ソ連崩壊から30年たつ今になって、ロシア史の最大の汚点がソ連崩壊だなどという主張は理解に苦しむ。外圧だけでソ連は崩壊したといいたいのだろうか。少なくとも社会主義の歴史的な総括はそうではないと私は信じたい。

先の大戦後、人類は武力を国際紛争の解決には使わない。すなわち、「いかなる国であろうとも、力による現状変更は断じて許されない」という原則を確立してきたと私は理解していた。もちろん、大量破壊兵器を持つという虚偽の理由でイラクを攻めたり、テロ撲滅を理由としてアフガニスタンへ派兵したりと、数えたらきりがないほど武力は使われてきた。米国が正しくてロシアが間違っているなどというつもりはない。

国連憲章第2条3項では、すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって解決しなければならず、武力による威嚇又は武力の行使を慎まなければならない、と謳っている。同時に、同条2項では、すべての加盟国は、この憲章に従って負っている義務を誠実に履行しなければならないとしている。このままでは、国連は、国際連盟と同じく無意味化してしまうのではないかと心配になる。幾ら、国連憲章だ、国際法だといったところで、プーチン大統領は聞く耳を持たないかもしれないが、歴史から学んできた人間の知恵を信じたい。平和を第一義として、一日も早く平和裏に解決に向かうことを願う。

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