山田學塾長

山田學塾長が3月29日亡くなられた。満で88歳。“俺の人生はゾロ目の人生だ”とおっしゃっていたがそれを最後まで全うされた。まさにゾロ目を意識して人生を変えてきた。そういう気分の生き方を塾長はされ実際その通りだった。最近は、長く入院されていたがコロナで面接もかなわずそのままとなってしまった。

塾長は1956年、ちょうど私の生まれた年に近畿日本ツーリストに入社されている。私が出会ったのは、1997年にサイクルツアーの宮本社長に招かれた「経営者が集まる36会」というグループでのことだった、その年、塾長は63歳で全日空ワールド副社長を退かれた。今の私ぐらいの歳だったのだから随分若く引退されたわけだが、当時はそれが普通だったようだ。

以来、25年のお付き合いになるが考えてみたら塾長が現役で旅行の仕事をしていた時代は知らない。36会の末席を得て2年後の1999年に旅行産業経営塾がトラベルジャーナル社によって開設された。山田さんは、その初代塾長であり私はその第1期生として薫陶を受けた。

風の旅行社を今日まで続けてこられたのも塾長のお陰だと思う。別に資金援助や経営上の指南を受けたわけではない。塾長に教わったのは、志の大切さと、“ものの見方、考え方、決め方”である。“塾は野にあってこそ意味がある“、“志を高く掲げよ”、そんなメッセージが、ときに挫けそうになる私の心を支えてくれた。

その塾も1999年から5年間続いたが、それから6年間の休塾を経て、2010年に、塾OB会の手で復活させた。そのOB会の会長を私がしていたため、山田塾長から塾頭を命じられ、その後、塾長を引き継ぎ山田塾長は顧問となった。だから顧問が正式なタイトルだが、私にとっては永遠の塾長である。塾は、都合11期(1期1年)まで開設し、総勢400名近い卒塾性を輩出し、塾長の意思は旅行産業に確実に引き継がれている。

私は、塾長の軌跡を記録に残したいと考え、2013年に『旅は人に生きる喜びを与えるものです』という本を知人のポット出版の沢辺氏に頼んで出してもらった。塾長は、この仕事に就いた1956当時の旅行会社の社会的地位の低さに苦々しさを覚え、何とか生きる意味と仕事に誇りを持ちたいと考え、国際線の機内誌のゲーテの言葉から「旅は人に生きる喜びを与えるものだ」という結論を得たという。

確かに、旅行会社は未だに旅行代理店とか単にエージェントとか呼称され情けない思いをすることも多い。悔しい思いを悔しいと大きな声で口に出し、何くそ踏ん張りエネルギーに変えて乗り越えていく。それが塾長である。

私は、お袋をなくしてからは死があまり怖くなくなった。今は、あの世に行けば、お袋も親父もいるし、風の旅行社を一緒に作った比田井さん、大先輩の天心さんや宮本さんもいる。そして今度は山田塾長が加わった。天国で、一緒に愉快に宴会できる日がいつかはくる。それまではこの世で精一杯やろうと思う。

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