個人プレーとチームプレー

日本のTVドラマ『Doctor-X外科医・大門未知子』と米国のTVドラマ『Good Doctor名医の条件』(以下GD)は同じ外科医を扱っているが、まるで違う。Prime videoとNetflixに加入し、両方番組とも見られるシリーズは全部観たので、比較しながら少しご紹介したい。

Doctor-Xは名門大学病院を舞台に白い巨塔をコミカルに皮肉っている。「私、失敗しないので」という名台詞に象徴されるように、フリーランスの天才的外科医・大門未知子が、天才的な手術の技量で、次々と医学部の権威の象徴である大学教授・名医たちの鼻を明かし、大学の権威をも失墜させていく場面は実に痛快である。しかし、あくまで、個人プレー。

大門未知子自身は、お金に執着がなく、美人ではあっても恋愛には無縁で、趣味は手術と公言。一見、ニヒルだが、権威の犠牲になった父親の意思を引きついで人命を救ことだけに自分の人生のすべてをかける。しかし、それは口にしない。不言実行。いかにも、日本人好みの描き方である。私も、すっかりのめり込んでシリーズ5まで観てしまった。

一方、Good Doctorは、天才ではあっても自閉症サヴァン症候群の研修医が主人公。コミュニケーション能力に難がある主人公の成長物語でもあり、同僚も患者も含めて登場人物一人一人の自己史と私的生活が入り乱れ、個対個の葛藤の物語である。

登場人物は例外なく明確に自己主張人するが、他人のアドバイスにも納得すれば従うし、上司の命令にも最終的には納得しなくても従う。考え方も生き方も千差万別。まさに多様性の世界そのままである。日本のように集団や世間の同調圧力は殆どないが、“大人になれ”という言葉は何回も出てくる。人間社会は妥協なくして成り立たないのは、日本も米国も同じだ。しかし、まるで他人の心臓を抉るようなあの会話の連続は、かなり抵抗がある。

また、理事会や責任者の命令に従わざるを得ない場面は度々出てくるが、権威主義への屈服ではない。現場では、指導医が主人公も含めた研修医たちを指導していくが、研修医たちの考えにも耳を傾け、提案術式を積極的に採用していく。但し、指導医が執刀し研修医はあくまで補助。責任は、指導医が追う。個人プレーのようだが、Doctor-Xとは逆にチームプレーの大切さが強調される

米国がよくて、日本がだめだということではない。ドラマだから脚色もあるだろうが、人気を博すには視聴者の共感が不可欠だ。どうして、こんなに違うのか改めて考えてしまった。但し、男女の話が、入り組みながら常に登場し赤裸々な会話が多いのには閉口する。淫らだとか、職場の倫理観云々ではなく、その精神的タフさに圧倒され嫌気が察す。

「I love you. Me too.」という会話も、男女間でも親子間でも頻繁に出てくる。ハグもつきものだ。コロナ禍で人間関係が希薄になったこともあるが、米国のようには到底できないが、自分の思いを口に出して表現することが、私は足りないように思う。

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