無知の知

SUICAもPASMOも売っていない。先日、駅の販売機で駅員に尋ねたらそう説明された。今は、定期券以外はモバイルにすべて移行し、新規のカードは販売していないそうだ。

但し、羽田空港などは例外で「Welcome Suica」という桜がデザインされた素敵なSUICAカードが販売されている。訪日外国人用かと思ったら日本人でも買える。デポジットは不要だが28日間と有効期間が決まっていて、一旦購入したらずっと使える従来のカードとは全く違う。

今更、こんなことに驚いた、なんて書くと、時代に乗り遅れた老人の独り言になってしまうが、鉄道会社が目指している世界が透けて見えそうである。目標は、完全キャッシュレス。将来は、駅の販売機も改札すらも無くなるのかもしれない。現金にまつわる業務がなくなれば、かなりの要員が不要になる。今は、それに抗する人も殆どおらず、生産性の向上は個々の生活の質を高めると働く人からも支持される。

最近はやりのDX化で、高齢者がおいて行かれると指摘される。もちろん困ることは多々あるものの、高齢者はもはや自身の人生に大した影響はない。ところが若い人はそうはいかない。若い人の中にもITリテラシーの低い人は大勢いる。ついて行かれないと、職業選択の幅すらも狭まるのかもしれない。大変なことである。

紙と鉛筆、電話の時代にだって人の能力には差はあったが、その能力が、最初から人生を決定づけるようなことにはならなかった。今は、DX化で生産性が上がったと思ったら、自分の仕事が無くなるかもしれない。予期せぬ新しい仕事をせざるを得ないかもしれない。第一、存在そのものも、ふるいに掛けられる可能性だってある。

ITリテラシー欠如の本質的な要因は、技術学習能力の欠如ではなく、思想性や感覚の硬直化による受容拒否にある。しかも年齢に関係がない。40代、50代にはそういう人は山ほどいる。その結果、「大切なことは人と人のリアルなコミュニケーションであってIT化など重要ではない」と、自分の受容拒否を棚に上げて全面否定する方向に向かう。

ペーパーレス、キャッシュレスにしようが、人と人のリアルなコミュニケーションが根幹であることに変わりはない。むしろ逆で、ITを活用する人ほど、本質を突き詰めるならリアルな人の関係性の大切さががるはずだ。これを欠いたIT化は、単なる自己満足であって人生の目的を誤解している。

最近、ソクラテスの「無知の知」を再考する機会があった。自分は知らないことを知っている。そう自覚できるには、かなりの勉強と正面から自分を見つめる態度が必要だ。50年以上前に触れたソクラテスが、今になって再び頭をもたげてきた。つくづく自分の成長の無さに唖然とするばかりである。

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