ストップオーバー

スペインからの帰路、2/18にカタールのドーハに寄り2泊した。首都ドーハは、あの「ドーハの悲劇」で有名だが、お恥ずかしながら、私は、カタールという国について殆ど知らなかった。先日閉幕した「アジアカップ2024」ではカタールが連覇したことも今回、現地で教えてもらったような始末である。

人口は約300万人。うち、約45万人がカタール人(国民)。他はエクスパット(外国から働きに来ている労働者や駐在員、海外移住者)だ。つまり総人口の約15%しかカタール人(国民)はおらず、他は外国人らしい。インド、パキスタン、バングラデシュ、フィリピンからの労働者が多く、労働力のほとんどをそうした外国人に負っている。外国人労働者を大幅に規制する日本とは大違いである。

国民一人当たりのGDPは第6位。世界有数の裕福な国家である。法人税はわずか10%。所得税はない。教育費も医療費もかからない。その富を享受できるのは約45万人のカタール人だけのようだが、オイルマネーの力で成立したカタールのような国のことは、私には想像もつかない。

中東に膨大な石油が眠っていることが明らかになったのは1920年代である。本格的に採掘がはじまったのは第二次世界大戦後。当初は採掘技術を持たない中東諸国は、メジャーと呼ばれる国際石油資本に牛耳られたが、1960年にメジャーに対抗してOPECが設立され、石油産業の国有化が進み大きな富を築いたというわけだ。その歴史は僅か60年ほどしかない。ただただ驚くばかりである。

数年前、モンゴルのレアメタルの埋蔵量が注目され、モンゴルも中東のように税金がなくなり国民は働かなくてもよい国になる。そんな話が実しやかにモンゴル人の間で語られていた。働くことで生き甲斐を感じてきたような私には、働かなくてもいい国が良いとは手放しには言えそうにない。

中世の欧州の貴族たちは、社交界で血道をあげて満足していたが、近代に入った1820年ころのロシアを想定したプーシキンの『エウゲニ・オネーギン』では、オネーギンは田舎の伝統的な貴族の生活に飽き足らず、ふさぎの虫にとりつかれニヒルを装う。自由という「忌まわしい」概念が、ロシアの田舎にも浸透し始めたということだ。

人間と労働は切り離せないものだと私は思ってきたが、中東の国々はともかく、AI技術の急激な進展で、労働から人間が解放される。そんな世界がもうそこまで来ている。昨日のNHKの「私は生きている。進化する人型ロボット」を観て唖然としてしまった。ついにロボットが意識と心を持ち始めたのか。ならば、人間とどこが違うのか。労働からの解放とは少々話がずれたが、凄いことが凄いスピードで進んでいる。

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