講演会の後半は、民博の名誉教授の小長谷さんと総合地球環境学研究所(地球研)の所長の山極壽一(やまぎわじゅいち)さんとの対談。お二人とも話したいことが山ほどあるのだろう、話はあっちこっち飛んだが大変興味深いお話だった。
山極さんといえば、ゴリラの研究者として有名だが、京大霊長類研究所を経て京都大学大学院理科学研究科教授、その後、京大総長も務められた。今回は、冒頭から、「環境問題の本質は文化」だと切り出された。それにも拘らず、SDGsでは文化に関しては一言も触れられていない。何故なら、文化は数値化できない(から目標にならない)からだ。文化が生み出す物はいっぱいあるが、それは文化そのものではない。文化は人々の心の中にある。遊牧こそSDGsそのものだ、と小長谷さんはおっしゃるが、まさに、ずっと変わらない遊牧文化があるからこのモンゴルの草原の環境が守られてきた。そんな趣旨の発言をされた。
私は、ずっと疑問に思っていた。科学で環境問題が解決できるのだろうかと。15年ほど前からだろうか。モンゴルでは、草原を使った大規模な農業があちらこちらで見られるようになった。私がモンゴルを最初に訪れた時には、“遊牧民は草原を掘り起こして傷つけることはしない”と教わった。遊牧民の移動生活も、一定のところに留まれば、草原が荒れる。完全に草を食べつくして草原が荒れてしまわない内に移動する。山羊は、草の根っこまで食べてしまうから、山羊が多いと砂漠化する原因になるので、山羊は、家畜総数の一定の割合までしか増やさない。そう教わったが、最近は、山羊はカシミヤなどが高く売れるので、頭数を増やしている遊牧民が増えたそうだ。経済が優先され文化が壊れつつある。
私は、特別な思いがあって断捨離などしないし自然派でもない。単に、おしゃれ心がなく、服も靴も必要なだけあればいいというだけだ。私の学生の頃はジーパン1枚にTシャツ数枚、スニーカー1足。冬はセーターにジャンバーが2~3種類。使えなくなったら買い足す。これで充分生活できた。部屋には、ベッドと布団、本棚、ちゃぶ台代わりの炬燵、14型のテレビ。ラジカセ。あとは山道具が少々とバイク1台。その私ですら、今は、結構物が多い。今は、意図的になるべくシンプルで済ませようと努めている。
何も不便な生活に戻れという訳じゃあないが、こんなに物はなくても生きていけるんじゃないかとつい思ってしまう。日本人が持っていた江戸の文化は、着の身着のままでも人生をもっと楽しんでいたと思うのだが。