第11話 ザンスカールを行く3 <続き>

カルシャ寺僧院長ケンポ・ロブサン・ケドゥプ師 インタビュー
今回、幸運にもザンスカールでもっとも印象に残った僧院のひとつカルシャ寺の僧院長にインタビューをする機会があった。

カルシャ寺僧院長ケンポ・・・(カルシャ寺僧院長ケンポ・・・)

私 僧院長は、どちらのご出身ですか?

ケンポ・ロブサン・ケドゥプ(以下僧院長) カルシャ村の東にあるシャル・リン地区出身です。今は小さくて住民も少ないですが、昔の規模は大きかったようです。使われなくなった家の廃墟もあります。

カルシャ寺に巡礼に来た村人(カルシャ寺に巡礼に来た村人)

私 いつご出家なされたのですか?

僧院長 14才で出家しました。1973年、ダラムサラへダライ・ラマに会いに行き、それからブッダガヤで行われたカーラチャクラの灌頂を受けました。そして南インドのムンゴッドにあるデプン寺ゴマン学堂まで行ったとき所持金が底をつきザンスカールに帰れなくなってしまいました。
それ以来、デプン寺ゴマン学堂には33年間とどまることになりました。当時のデプン寺ゴマン学堂にはチベット難民が約60人ほどいました。日本でご活躍なさっているゲシェ・テンパ・ギャルツェン師もいらっしゃいました。このとき、ラダック人とザンスカール人は約40人で、カルシャ寺からは二人だけでした。今では、デプン寺のゴマン学堂には1500人以上。ローセリン学堂は、2000人以上もいます。
96年にゲシェの学位を取得した後、ギュト学堂へ入りました。後にギュト学堂は、ダラムサラに移転しましたが、まだその当時ギュト学堂は、アッサム州のボンビラにありました。

私 その後は、どうなされましたか?

僧院長 それからロシアのブリアート・モンゴルにある仏教寺院へ仏教哲学を教えに行きました。昔は、ブリアートにも大きな僧院があったのですよ。いまでも、モンゴル人は、チベット語で経典を読んでいます。
モンゴルのウランバートルにも行きました。在モンゴルのインド大使館の大使であったラダックの故クショ・バクラ・リンポチェが建立したスピトク学堂という名の寺があります。ウランバートルから1000kmも離れていますが、モンゴル人ドライバーは、時速120km以上で飛ばすので、一日で着きます。インドでは、平均時速30、40kmで走るので最初は怖い思いをしました。

私 モンゴル人はいかがでしたか?

1959年以前、カルシャ村の年配の僧侶たちは、たいていチベットへ行きタシルンポ寺やデプン寺で学んでしました
当時ゴマン学堂では、モンゴル人とラダック人がともに学んでいたのです。モンゴル人は優秀であったそうです。その理由は、モンゴルにある寺院で基礎教育を学んでからチベットにやってきたからです。チベット人は初歩から学んでいたので、学力に差があるのは当然でした。いまでもモンゴル人僧侶は熱心に学んでいますよ。インドのお寺にも何人ものモンゴル人が留学しています。

私 カルシャ寺の僧院長には、いつ選ばれたのですか?

僧院長 2004年にカルシャ寺に戻り、2006年10月に僧院長に選出されました。

私 僧院長は教えていらっしゃるのですか?

僧院長 いいえ、私は僧院全体の運営にかかわっているので教えていません。教えているのは、デプン寺から派遣されたチベット難民のゲシェです。

私 南インドや、ブリアートに比べて、カルシャの暮らしはどうですか?

僧院長 ザンスカールの冬は寒いです。それにいろいろな設備がととのっていません。デプン寺に比べるとカルシャ寺の運営資金は足りません。学校経営は難しいです。でも私にとって暮らすにはよいところです。

私 現在、カルシャ寺から何人くらいの僧侶がインドのチベット寺院で学んでいるのですか?

僧院長 カルシャ寺からは、タシルンポ寺に約60人。デプン寺ゴマン学堂に約30人。ギュト学堂に約30人が学んでいます。

私 それで、カルシャ寺には、老僧と子坊主ばかりが目につくわけですね。

カルシャ寺小坊主(カルシャ寺小坊主)

袈裟を洗う小坊主(袈裟を洗う小坊主)

僧院長 インドの僧院へ行ったきりで、ザンスカールに戻ってこない僧侶も多いですね。南インドは、暑いですが住み慣れると楽です。本当は、こちらへ戻ってきて後輩の指導にあたってほしいのですが、すべて本人の意志次第です。僧侶によっては、故郷を離れ南インドの僧院で最期を迎える人もいます。

ザンスカール出身日本語ガイド・スタンジンと行く

インド最奥の「信仰の里」 ザンスカール10日間

出発日設定2019/09/14(土)
ご旅行代金422,000円
出発地東京