「長田幸康さん特別寄稿」 〜ネチュンゴンパ訪問〜 [LHASA・TIBET]

今回は「Daisukeの駐在日記」はお休みして、先月チベットの達人としてショトゥン・ツアーに参加された、チベット・ライターの長田さんの特別寄稿です!

ショトゥン祭で盛りあがったデプン寺。「デプン」という寺の名の由来は、白壁の伽藍が山の斜面に建ち並ぶ様子が「お米(デ)が積み重なる(プン)よう」だからだと、俗に言われている。

デプン寺巡礼を終えたチベット人たちが次に向かうのは、その東側の麓に、こぼれ落ちた米粒のようにひっそりとたたずむネチュン寺だ。寺の名を直訳すると「小さな場所」。その謙虚な名の通り小ぢんまりとしたこの寺をあえて訪ねるのは「チベット仏教入門」コースならではだろう。

ラサ観光の初日。午前中にポタラ宮参観を終えた後、午後イチで訪ねたのがネチュン寺だった。つまり、チベットで最初に訪ねる寺ということになる。
いきなりネチュン寺でいいんだろうか?
……そう思ってしまうほどユニーク、そしてある意味もっともチベットらしい寺なのだ。

本堂の前に中庭、そして香炉と2本の柱。ここまでは他の寺とさほど違いはない。しかし、中庭をとり巻く回廊に描かれた壁画が、ひと味違う。
××仏とか△△菩薩とかいった“よくある”ものではなく、恐ろしげな忿怒の形相ばかりがずらりと並ぶ。血の滴る頭蓋骨を携える者、さらけ出した内臓を鳥についばまれている者、巨大な目玉を飛び出させたまま洗濯物のように吊り下げられた者etc…たしかに他の寺でも時々お目にかかれる図柄ではあるが、おどろおどろしい系ばかりで“普通っぽい”のが皆無という点でネチュン寺は異彩を放っている。

見事に澄み切った青い空のもとで強烈な日射しを一生浴びながら過ごす人々が、どこからこんなに陰鬱なイマジネーションを汲みあげてくるのか不思議に思う。光が強ければ強いほど影も濃くなる、ということかもしれない。マイルドな空気に慣れ親しんでいる日本人とは、きっと違ったものが見えてしまうのだろう。

本堂の入口。柱という柱は、絡み合う大蛇のモチーフで彩られており、天井を見上げると、青く塗られた桁には、ぎっしりと弓矢が供えられている。殺生や争いを絶つ証しとして納められたものだ。1950年代に攻め入った中国軍から寺を守るため、チベット人たちはこれらの弓矢で、機関銃を相手に戦ったそうである。

チベット人にとって、どうしても守りたい寺だった。ネチュン寺は、ダライ・ラマが率いるチベット政府の国運を担う「神託官」の寺だからだ。
チベット人は今も占い好きだが、かつては政治的な決定を「神降ろし」に委ねることも多かったという。ネチュン寺の神託官ネチュン・クテンは、必要に応じてトランス状態に入り、文字や言葉で「お告げ」を伝えた。
1959年、ダライ・ラマ14世がインドに亡命した際も、いつラサを発てばいいのか、お伺いをたてたそうだ。だから無事亡命できたのかもしれないが、結果として国を失ってしまったのだから、お告げが正しかったのかどうか、今のところはよくわからない。

本堂に入ると、薄暗い集会堂。左奥の部屋から、ドン、ドン、ドン、と低い太鼓の音が響いてくる。神託を下す主であるペハルという神様を祀ったお堂だ。入ってみてまず感じるのは、酒くささ。チベットでは僧侶は酒を飲まないが、神様たちは酒好きなのだ。

そもそもペハルは東北チベットとも中央アジアともインドとも言われる異郷から来た神様。グル・リンポチェによって仏教の守り神へと宗旨替えさせられた後、あれこれあってラサの南を流れるキチュ河からこの地に上陸した後、ある木に宿った。その御神木の地にネチュン寺が建てられたのは12世紀だというから、歴史はデプン寺(17世紀)よりずっと古い。以来ペハルは、ドルジェ・タクデンという化身となって神託官に降り、自然災害や政局についてお告げを下すようになった。

その酒くさいお堂には、御神木とともに穏やかな形相と忿怒の形相、両方のペハルの像がある。胸には未来を映すシルバーの鏡。額縁に入った人間らしき写真は、ダライ・ラマ14世とともにインドに亡命した後、転生した現役の神託官だ。現在でも、ペハルの装束をまとっての神下ろしの儀式が、インド・ダラムサラにあるネチュン寺で行なわれている。

……というふうについつい長くなりがちな混み入った話を、チベットで最初に訪れる寺でいきなり聞かされても困ってしまうだろう。しかし、普通にお釈迦さまや観音菩薩の話をしている場合ではない、といった妖気がネチュン寺には満ちている。ここはひとつ最大限あちら側に針の振り切った世界にどっぷり浸っていただければ、「仏教入門」的には成功だと思う。そもそもこれが仏教なのかどうかは、このさい問わない。

ツアーのメンバーからは「インパクトあった」としか表現しようがない感想の他、 「情操教育に最適かも?」といった頼もしい声も聞かれた。この先、仏像が極彩色だったり金キラキンだったりしても目くらましされることなく、その本質を見つめる心の目の準備が整ったはずだ(たぶん)。

9月6日 
天気 曇り(ここ数週間、夜雨が続きます)
気温 9〜20度 (過ごしやすくなってきました)
服装 上はシャツ/Tシャツの上に、薄手のジャンパー、長ズボンが一般的です。日焼け対策は必須。 空気も非常に乾燥しています。 雨具も必要。