スピティ、キナウル調査行 その3:ナコ村とタボ寺[LADAKH]

カルパ村を離れ、再びサトレジ川沿いに上流へ向かう。

リンチェン・サンポが創建したタボ寺(リンチェン・サンポが創建したタボ寺)
キナウル・スピティMAP

途中、道路沿いに温泉が湧き出していて、インド人が身体を洗っていた。ジャンギ村のチェック・ポストでインナーライン・パーミットをチェックされた。少し先へ進むと、サトレジ川をはさんで対岸のムラン村の丘の上に、サラハンやカムルで見たような塔の遺跡が見えた。
モラン村の塔(モラン村の塔)

サトレジ峡谷は次第に狭まっていった。サトレジ川とスピティ川の合流点についた。ここからだとインド−中国(チベット自治区)国境のシプキ・ラ峠までわずか10㎞もない。中印国境分紛争前は、交易で栄えたルートだと聞いた。
サトレジ川とスピティ川の合流点
(サトレジ川とスピティ川の合流点)

サトレジ川を離れ、スピティ川沿いに北上する。スピティ川はサトレジ川に比べて水量が少ない。主要幹線道路から離れ、ジグザグの坂道を登り、ナコ村に着く。去年、ダライラマ法王がこの村に来て、観音菩薩の灌頂と法話をなさったそうだ。村はずれには、そのときに建てられた新しい寺院兼法王のための宿泊施設が建てられていた。
ナコ村、ダライラマ法王のための新寺院
(ナコ村、ダライラマ法王のための新寺院)

広場をはさんで古いナコ寺を参拝に行く。この寺はリンチェン・サンポが創建した寺と言われている。狭い堂内に入ると古い塑像が置かれていた。寺を出て村を散策する。この村はキナウル地区に入っているが、建物は、ほかのキナウルの村々で見たような木造ではなく、チベット文化圏特有の石造である。住民の多くもチベット語をたくみに話すそうだ。ナコ村には、沼があり、10分ほどで一周できる。村の対岸から沼をはさんで村を撮影し、レストランで昼食を摂る。
沼から見たナコ村(沼から見たナコ村)
ナコ寺の内部(ナコ寺の内部)

食後、タボへと向かう。ナコ村を出て、すぐのところにラダックのラマユル寺の下手にひろがるムーンランドと呼ばれる独特の地形に似た場所を通った。干上がった湖沼の底に溜まった砂の層が侵食されてできた地形だそうだ。
ムーンランドの風景(ムーンランドの風景)

キナウルとスピティの境界付近に、スムドのチェック・ポストがあり、ここでインナーライン・パーミットをチェックされた。タボの村に着いたのは日が暮れてからだった。翌朝、さっそくタボ寺を参拝する。
タボ寺は、キナウル-スピティの旅のメインである。
この寺はリンチェン・サンポが創建した主要な寺の一つである。彼が建てた主な寺は、グゲ(現在西チベットのツァンダ村)のトリン寺、プランのコルジャ寺、いまは廃墟になったラダックのニャルマ寺である。伝説によると、ほかにも108の寺を創建したとされている。タボ寺境内には、いくつかのお堂と仏塔がある。お堂の外観は、厚い土壁の角を丸みをおびたカーブに形成した造りで、アメリカのサンタフェで見たような建物の建築様式を思い出させる。

お堂は、集会堂(ツクランカン)、金堂、弥勒堂、マンダラ堂、ドムトンによって建てられたと伝えられる大小二つのドムトン堂、白堂からなり、集会堂とマンダラ堂以外は、グゲ時代の壁画の上に後世に新しく修復した壁画が描かれていた。以下、集会堂だけ紹介する。

タボ寺1(タボ寺1)
タボ寺2(タボ寺2)

集会堂に入ったときの印象は、広すぎもせず、狭くもなくほどよい大きさと光加減で古色蒼然とした雰囲気の上に、神聖さをかもし出していた。ほかのチベット寺院に比べても雰囲気に関してはダントツによい。
このお堂の特色は、左右の壁画に、32体の菩薩の立体塑像が配置されていることだ。現存する寺でこのような様式の寺は見たことがなかった。左壁の菩薩像の下には、仏教説話の「ノルサンの巡礼」の話が描かれており、登場人物たちは11世紀当時のグゲの王族の衣装をまとった姿で描かれている。右壁の菩薩像の下には、仏伝が描かれている。左右の菩薩像の背後や上部には、四禅定仏と脇時の菩薩たちや、マンダラが描かれている。絵画の質、保存状態も非常によい。これらの壁画を称して、「ヒマラヤのアジャンタ」と呼ばれているそうだ。ご本尊は、阿弥陀仏と脇時の観音・勢至菩薩の塑像だが、その手前に、各々の背を合わせて四方を向いている四体の大日如来の立体マンダラが置かれている。
このような仏像の構成は、アルチ寺の文殊堂の立体マンダラと似ているが、文殊堂の文殊像たちの背後には、複雑な装飾彫刻が設置されていたが、タボの大日如来は、装飾のないシンプルなものだった。今回タボ寺で見ることができた仏教美術は、これまでの長距離ドライブの疲れを忘れさせるくらい、十分満足できるものだった。

<参考>タボ寺壁画のHP