「フォトジェニックな場所は確実に俳句ジェニック」 [LHASA・TIBET]

とは、俳人の「黒髪詩人」さんが、前回の日記のコメントに書いてくれた言である。
これは広く知られていることなのかもしれないが、
改めて言語化されると、非常に素晴らしい視点である。

まず、フォトジェニックとはどういう意味か。
これは英語の”photogenic”から来ている。
「写真写りのよい」「写真映えする」といった意味である。
上の定式を意訳すると、
「<写真映えする>ような美しい場所では、俳句が作りやすい、いい俳句ができる」
といったような感じになるであろう。

また、こう解釈してもいいかもしれない。
フォトジェニックな場所では、「俳句ごころ」がくすぐられる。
つまり(視覚的に)印象深い場所では、俳句を思わず作りたくなってくるのである。

ちょっと話は飛ぶが、かの有名な河口慧海もチベット旅行中、非常に頻繁に歌を詠んでいる。
一世紀以上も昔の話なので勿論カメラなどはなく、写真になるような美しい、荘厳な場所では、
思わず歌が出てきたのかもしれない。 

下は、想像を絶するような労苦の末ヒマラヤを越え、初めてカイラス山を拝したときによんだ歌とされる。

何事の 苦しかりける ためしをも 
人を救はむ 道とこそなれ  

(『チベット旅行記(二)』16頁;講談社学術文庫)

遠方にカイラス山

遠方にカイラス山

河口慧海は本当に(厳密な意味で)「僧侶」なのか、ただの探検家ではないのか、
という議論をよく耳にする。 しかし、慧海の日記をそのまま信じるならば、
上の歌はどうやら仏教徒として誓願を立てたときに詠まれたようで、
聖山カイラスを前にしての並々ならぬ決意を感じる。

上の慧海の場合は短歌であったが、俳句でも短歌でも情感を詠む点では同じであろう。

もとの定式にもどる。
「フォトジェニックな場所は確実に俳句ジェニック」。

日本の夕暮れ

日本の夕暮れ

秋晴れや 流るる雲の 彼方から

上の写真は、先日一時帰国したときに大阪の実家のベランダから撮ったものである。 
あまりの美しさにため息が漏れた。 
しかしながら俳句そのものは、後日写真を見たときに、ふと口をついて出てきたものである。
「後だしジャンケン」みたいでずるいのかもしれないが、しょうがない。

ラサの夕暮れ

ラサの夕暮れ

青白の 夕陽に思ふ 故郷かな 

この句は、上の写真を撮る時に詠んだものである。 
場所はラサで、つい数日前僕の住んでいるホテルの屋上で詠んだものだ。 
自分の句のレベルは自分では計り難いが、
「フォトジェニックな場所は確実に俳句ジェニック」という定式は、この瞬間では成り立っていた。 
<写真になるような場所>では、俳句を詠みたくなるというのは、やはり当っているのかもしれない。 

不要だと思うが、上の句に簡単に解説をいれるとこうなる。 
我々日本人は夕陽といえば、紅色やオレンジ色を連想する。 
しかしラサでは、空気中の塵や水蒸気が少ないために、「夕が焼ける」ことは少なく、
上の写真のように青白くなるのである。 
夕焼けに慣れ親しんだ目には、この光景は日本離れしているだけでなく、
それどころか、とても地球上の出来事には見えないのである。 つまり、宇宙的といってよいか。

青白の 夕陽が誘う 宇宙(そら)の旅
今世はラサで 思いを馳せて

* * * * *

(以下は、蛇足なので読まなくてもいいです。)

「フォトジェニックな場所は確実に俳句ジェニック」という定式について、
ここでひとつ妄想考察をしてみよう。

まず、逆は成り立つであろうか。
つまり、「俳句ジェニック(俳句が作れそうなコンテキスト)は、フォトジェニックな場所である」。
この定理は成り立ちそうで、必ずしも成り立たないような気がする。 

それはなぜか。

それは俳句が、こころや情感といったものから湧き出ることと関係しているからであろう。
フォトジェニックな場所ではこころ打たれて俳句が自然に出てくるのかもしれないが、
逆に、こころが打たれるようなシチュエーションは、「写真」という限られた媒体では必ずしも
切り取り可能ではないであろう。 

これはこころとか精神とかいったものが、写真という二次元にはおさまりきれないような場所、
より高次元の世界と繋がっていることと関係しているせいだと思われる。

我々が常々感じることだが、旅行中写真ばかり撮っていると、より深い体験ができないものである。
そして、たとえ写真をたくさん撮って後から見てみても、その時の情感や空気の感じなどは決して
追体験できない。

ここで、俳句は大きな力となるのではないか。
旅の中で、歌を詠む魅力や悦びはここにある。

俳句は、写真とは異なる次元で、その瞬間瞬間の情感を結晶化させる。
そして、写真で捕まえたイメージと相補いながら、
過去の思い出を「今」に引き寄せることができる。

(この「今」性はおそらく、俳句が多く語ることを制限されている(=17字という制限)ことと
深く関係している。この制限が、いつなんどきであっても読む度ごとに余韻を喚起し、
ある世界に能動的に入っていけるようにさせるのかもしれない。)

もとの定理に戻る。 
「フォトジェニックな場所は確実に俳句ジェニック」。 

であるからこそ、
「フォトジェニックな場所では、ぜひ俳句を作ってみてはいかが」

という黒髪詩人さんの提案は、とても素敵だと思うのである。

俳句をば 語る愚かさ 極みたり

Daisuke Murakami

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今年のお正月から始まったつむじかぜ読者投稿コーナー。いろはカルタに倣って、「風の旅行社の旅」にちなんだ十七文字を募集・掲載しています。テーマは自由。トリビア情報、感動したこと、豆知識、ふと思い立ったことなどをお寄せいただいてます。基本五七五の十七文字ですが、字足らず、字余り問題なし。俳句ではありませんので季語など必要ありません。
 例:「い」で始まる風カルタ ◆インカ古道 道のラストは マチュピチュだ
   「ろ」で始まる風カルタ ◆ロッジ泊 気持ちひとつで 五つ星
   「は」で始まる風カルタ ◆馬乳酒で モンゴル洗礼 腹下し

11月1日
(ラサの)天気 晴れときどき曇り
(ラサの)気温 -1~10度 
(ラサでの)服装 昼間はシャツ、フリース、セーターなど。 夜はフリース、ジャンパー、コートなど。晴れの日は日差しがとてもきつくなるので、日焼け対策は必須。空気は非常に乾燥しています。この季節、雨は降ることは少ないですが、雨具は念のため持ってきたほうがいいでしょう。

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