悪霊に憑かれないために [LHASA・TIBET]

数日前からいよいよ「サカダワ」に入った。
サカダワとは・・

お釈迦様がお生まれになり、悟りをひらかれ、そして涅槃に入られた
月(チベット暦の4月)をお祝いする期間のこと。
ラサの巡礼路には、朝夕になると多くの巡礼者が繰り出し、
にわかに活気づくのである。 このサカダワの期間、特に最初の15日間は、
肉食を断ち、神仏を思い、功徳を積むと、その「見返り」は数倍~数十倍にもなってやってくるので、
「スピリチュアル計算高い」(!)チベット人たちは、それぞれ生活の中で励むことになる。

サカダワを前に読経する僧侶

サカダワを前に読経する僧侶

さて、
今日の話は、サカダワではなく、「悪霊」について。
めでたい期間にする話ではないかもしれないが、
仏法とも関連することであり、前回のブログの続きでもあるので筆を進めることにする。

前回では、チベット人ガイド・和恵(ダドゥン)について紹介した。
彼女が日本にいる間、僕も何日か彼女と一緒に過ごしたが、
彼女の「初日本体験」に付き合うのは、楽しくもなかなか興味深い体験であったのだ。 
その一つにこのようなものがある。

「日本人はなぜ一人なのか?」

梅田の立ち食いうどん屋。
大阪ハービスの風の支店へ行く途中、彼女を連れて、きつねうどんを一緒に食べに行く。
僕は彼女に「大阪名物」を紹介したかっただけなのだが、彼女の目は周囲の客に釘付けであった。
「なぜみんな、“一人”で食べるの?」
老若男女、一人で黙々とうどんを啜(すす)っている様子に、彼女は驚愕したのだった。

スタバに入っても、彼女の驚きは変わらない。
驚くと同時に、彼女は周りを見てソワソワしだす。
なぜ「一人で」珈琲を飲むの? 可哀想・・。

可哀想、、なのである。 どの簡易飲食店に入っても、
一人、一人、ひとりだけの人が大多数で、違和感を感じるとともに、
「可哀想」に思えてしまうようなのであった。

一方ファミレスに入ったら、複数いるテーブルを見て
「ここは、チベットの茶館に似ている・・」と少し安心したようであった。
実は、日本のファミレスとチベットの茶館の雰囲気は<似ても似つかぬ>ものであるのだが、
「一人ではない」というところに、一応の安心できる地点を見つけたようであった。

チベットの田舎の家族

チベットの田舎の家族

話はちょっと逸れるが、
ちょうど和恵(ダドゥン)が日本に滞在中、
僕はチベット医小川康くんの「チベット医学絵解き講座」に参加した。
小川くんは、僕が十年前ダラムサラに初めて行ったとき、
右も左も分からない僕にチベット語の先生を紹介してくれたり、
一緒に山登りに連れて行ってくれたり、ダラムサラ事情をいろいろ親切に教えてくれたりと、
ダラムサラ時代の恩人の一人である。

彼がチベットの精神疾患と悪霊について講義する、と聞いたので、
このようなトピックに無条件に反応してしまう(笑!)僕は、
大阪から遥々長野の小諸までやってきたのであった。
チベットの医学タンカの絵画を見ながらの授業は非常に興味深いもので、
収穫も多く、来てよかったと心から思った。小川くんに感謝である。

講義中、興味深かった内容のひとつに、
『ギューシ』(四部医典)と呼ばれるチベット医学書の中に、
「眼に見えない悪霊の治療の章」というのがあり、悪霊に襲われる原因が列挙されていた。
不道徳な行いをたくさん行う、仏法に反する行動や言葉を発するなど、
悪霊は憑くのではなく<我々のほうから積極的に招く>ものだと、
我々にも身近に感じられるものがあった。 
しかし、僕の注意を最も引いたのは、悪霊憑依の原因として、
「ひとりぼっちでいる」ことが挙げられていたことであった。

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折りしも和恵の「日本人はなぜ一人でいるのか?」である。 
彼女の疑問が脳裏の中で交錯し、一人でいることの多い日本人は、
チベットの医学・スピリチュアル観念では、「悪霊に憑かれやすく」なってるのでは、
と連想・妄想がどうしても働いてしまう。

悪霊に憑かれやすい、とはどういう意味なのだろう。 
そもそも悪霊とは何か。

この手の議論をするには、あまりにも僕の資質や糧は貧弱なので今は避けることにするが、
上のチベット伝統医学のメッセージが我々に伝えようとしていることは、なんとなく分かるような気がする。

しかしながら、我々現代人、欧米・日本などの先進国に生きている人間は、
もうすでに、孤独なしでは生きられないほどのところまできているのではないか。
それどころか、孤独そのものが享楽にさえなっている。
プライベートな時間・空間を保つことは、我々にとって生の充実のため、
ごくごく「自然」な欲望にさえ見えてくる。
一人になることによって、再び社会生活の中へ蘇生していく術さえ、我々は身につけてしまったのである。

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しかしながら、「享楽」とは「リスク」なしには獲得されえない。
享楽=危険なのである。
このあたりのパラドックス(逆説)を社会・世間が見えなくさせているともいえるし、
我々が積極的に見ないようにしている、ともいえる。
問題なのは、やはり「見えにくさ」のように思えてくる。

上のメッセージが我々に語りかけてくるのは、
その闇の部分であり、安易に享楽に流され、
知らないうちに悪霊と結託してしまう恐ろしさを、指摘しているようにもきこえる。

この手の話題で結論めいたものは出ないが、
「悪霊」と繋がるのが単純に悪とはいえないが、
<知らないうちに>憑かれてしまうのは、確かに不幸ではないか。

「チベット文化そのもの」から我々が学ぶことができるのは、
実のところそんなに多いとは思えない(インスピレーションを受けることは無限大にあるものの、
異文化をそのまんまのカタチで学ぶなどは原理的に不可能に近いのである*)。

しかしながら、
文化と文化の交差点のようなところでは、「何か」が顕れるのである。
それは常に自分自身の中から。
そしてそれは、ときに「悪霊」をともなって。

Daisuke Murakami

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* 不可能を承知で我々は、できるだけ異文化を吸収しようと溺れもがき、
不恰好にでもなんとかカタチを模倣できるようになるのである。

5月16日
(ラサの)天気 曇
(ラサの)気温 0~14度 (体感温度は10~20度ぐらいです!!)
(ラサでの)服装 昼間はシャツ、フリースなど。 夜はフリース、ジャンパーなど。 日焼け対策は必須。 空気は非常に乾燥しています。念のために、雨具は持ってきたほうがよいでしょう。また、風も強く吹くことも多いので、マスクなども役立ちます。

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