大シルクロードをゆく イスタンブールへの道55日間

ツアーコースの特徴

95年~06年まで、大手旅行会社で催行したユーラシア大陸横断55日間の企画者のひとりであり、最も多くこのツアーを添乗した二村(風の旅行社オーバーランド総合プロデューサー)が、装いも新たに企画した旅です。

中国、中央アジア(キルギス、カザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、トルクメニスタン)、イラン、トルコの8ヶ国をバスで繋いでいきます。

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15年の間に沿線の各国は経済的に発展し、道路や宿泊施設が格段に良くなりましたが、そのぶん野趣がなくなってしまいました。ただの観光地巡りだけでは、この旅本来の楽しみを味わうことができません。多少の不便があってこそ、わざわざバスで横断する意味があるのです。そのため、中国では天山南路のルートをやめ、まだ本来のシルクロードの顔を残す西域南道を選んでいます。中央アジアでは政情が安定し、最近になってやっと足を伸ばすことが出来るようになったタジキスタンも加えました。イランでは、従来シラーズからテヘランまで航空機の利用をやめ、片道はバスの旅にしています。トルコでは、一般的な観光地はすべて外し、あまり訪れない東トルコの観光に重点を置きました。

秋は、果物の季節です。各国の秋の実りを楽しみながら、イスタンブールを目指してみませんか。

詳しい日程表はこちら

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 12年の「大陸横断バス旅」の経験が結実したツアー内容
  1. 全線ほぼ95%は、舗装道路です。バスは、極力2座席を1人で使えるような中型から大型をご用意いたします。
  2. 長旅ですので、連泊(15回、計30日)を多くし、疲れが貯まりやすい1泊での移動を少なくしています。
  3. 当該ツアー企画者でありこのルートを知り尽くしたベテラン添乗員・二村が添乗し、添乗員兼全線のガイドを務めます。
  4. 各国では、可能な限り、二村が選抜したローカルガイドに同行を依頼し、旅を盛り上げていきます。
  5. 途中では、トイレ休憩以外にも、時間の許す限り写真休憩を取って行きます。


旅立ち 西安~蘭州

シルクロードの始点・西安(かつての長安の都)を出発。中国の歴史を彩る秦の始皇帝、唐代の則天武后・玄宗皇帝・楊貴妃、西域にかかわりの深い清真寺、玄奘三蔵や、匈奴討伐に功のあった霍去病などにゆかりの場所を訪れます。シルクロードへの見識を伸ばしつつ、先人達が交易の富や仏典を求め旅立った西の胡の国をめざします。


河西回廊 西からの文化との出会い 蘭州~敦煌

炳霊寺(蘭州)

炳霊寺(蘭州)

蘭州の西にある烏鞘嶺はかつての漢と匈奴の国境といわれています。張掖を過ぎると荒涼としたゴビ灘が広がります。途中、土壁のような明代の万里の長城が 100kmにも渡って道路と併走します。まさにイメージ通りのシルクロードの風景が続き、かつての辺境の地・西域に入ったと実感します。と同時に、当時ここが、莫高窟、楡林窟に代表される仏教など、西から伝来した先進文化の入口だったという認識を新たにします。


西の方陽関を出ずれば故人なからん 敦煌~カシュガル(西域南道)

いよいよ唐代の詩人・王維が詠んだ陽関の西へと旅を進めます。ここからはしばらく、玄奘三蔵がインドからの帰りに辿った道を逆に走ることになります。祁連山脈の3,648mの峠、青海省のツァイダム盆地、アルキン山脈を抜けて、ヘディンやスタインがさまよった”死の砂漠”タクラマカン砂漠の南端を崑崙山脈にそって横断します。以前は、4WDでしか走れない道でした。途中、チャリクリクではミーラン遺跡を、ホータンではラクダでラワク遺跡を見学します。この旅の前半のハイライトと言えるでしょう。

莫高窟(敦煌)

莫高窟(敦煌)

らくだでラワク遺跡へ

らくだでラワク遺跡へ

ミーラン遺跡(チャルクリク)

ミーラン遺跡

(チャルクリク)


国境越え カシュガル→国境→ナリン(キルギス)

ロバ車は現役(カシュガル郊外)

ロバ車は現役

(カシュガル郊外)

中国最西端の市カシュガルを最後に、ぐんぐん高度を上げ、天山山脈山中のトルガルト峠(3,750m)を越えて、いよいよキルギスに入っていきます。この旅では、これから8つの国境を陸路で越えていきます。ゲートを越えただけで、漢字の看板があふれている世界からキリル文字の世界へ。しかし、風景や人々の顔つきががらっと変わるわけもなく、国境という線の不思議さを目の当たりにすることでしょう。トルガルト峠からナリンまでの道は未舗装、ナリンの宿泊施設はゲストハウス並みですが、最も印象に残る一日になるでしょう。


歴史をつくった騎馬民族の国 ナリン~タシケント

キルギスのユルタ(ナリン付近)

キルギスのユルタ

(ナリン付近)

天山山脈の麓、標高1,600mにあって冬も凍らないイシククル湖を目指します。玄奘三蔵、チンギスハーン、ティムールも訪れたといわれ、その透明度はバイカル湖に次ぎ、湖底には、古代の集落が埋没していると言う神秘の湖です。その後も、上半分が倒壊したまま荒野に残された11世紀ミナレット(ブラナの塔)や、「大唐西域記」にも残る突厥の街、8世紀の東西文明(アッバース朝と唐)の衝突地点タラス河畔を訪れながら、この道が、歴史の大動脈だったことを実感して下さい。


シルクロードのキャラバン(隊商)に思いを馳せる タシケント~ブハラ

カラーンモスクとミナレット (ブハラ)

カラーンモスクとミナレット

(ブハラ)

かつてアラル海に注いでいた2つの大河シルダリア川とアムダリア川に挟まれた都市=サマルカンド、ペンジケント、ブハラ=ソグド人の交易拠点として発展した都市を巡ります。ソグド人は、紀元前の時代からシルクロード交易を支配したペルシャ系民族で、その後アラブの侵入を受け、歴史から消えた幻の民族です。日本の法隆寺の香木にソグド文字の刻印が発見されています。今回はソグドの最後の足跡が残るタジキスタンのムグ山まで足を伸ばします。

道中は、鮮やかな民族衣装に身を包んだ人達、路上での秋の味覚=ウリ売り、綿花畑の収穫風景が和ませてくれます。そして、キャラバンが行き交った往時のにぎわいをバザールに訪ねます。


知られざる国トルクメニスタン ブハラ~アシガバット~テヘラン

メルヴの遺跡(マリィ)

メルヴの遺跡(マリィ)

ブハラから100kmほど走ると、トルクメニスタンとの国境です。出入国手続きをアムダリア川を渡り、カラクム(黒い砂漠)を駆け抜けます。ここでは、さまよえる町と呼ばれたオアシス都市メルヴの遺跡、ゾロアスター教遺跡ニサや前ニヤゾフ終身大統領の黄金像が太陽の動きに合わせて回転する首都アシガバットなどを訪れます。そして、アルブロズ山脈の山中にある国境を越えてイランへ。ここから約10日間は、禁酒、女性はスカーフを被り、肌を覆う服を着なければなりません。しかしイランの人々は明るく、親日的です。ぜひイランの素顔に触れてください。


世界遺産街道 テヘラン→イスファハーン→シラーズ→タブリーズ

イマーム広場(イスファハン)

イマーム広場(イスファハン)

クルドの女性

クルドの女性

土レンガの遺跡を追ってきた私たちは、イランでついに石の建造物に出会うことになります。この地を舞台にアケメネス朝、ササン朝、サファービー朝などペルシア系王朝の他アレキサンダー大王や、アラブ、モンゴル、トルコなどいくつもの群雄が東西から歴史を塗り替えてきました。その歴史の積み重ねが数多くの世界遺産をこの街道に残すことになりました。タブリーズまでは道を南に大きく迂回し、クルド人が住む高原地帯を走ります。また別のイランがそこにあります。


アジアからヨーロッパへ タブリーズ~イスタンブール

サフランボルの少女

サフランボルの少女

いよいよ今回の旅の最後の国トルコに入国です。国境付近には、ノアの箱舟が漂着したという伝説の残るトルコ最高峰アララット山がそびえいています。東西交易の拠点となったアナトリアの歴史は、イスラムのモスクの漆喰の下に隠されたギリシャ正教のフレスコ画に象徴されるように、ギリシャ、ペルシャ、ローマ、ビザンチン、オスマンと民族と宗教の興亡の歴史でした。アジア大陸とヨーロッパ大陸を分かつボスポラス海峡に、今までの長い歴史と55日間の旅を振り返ることになるでしょう。

アララット山(ドゥバヤジット)

アララット山(ドゥバヤジット)

スメラ僧院(トラブゾン)

スメラ僧院(トラブゾン)

アヤソフィヤ寺院(イスタンブール)

アヤソフィヤ寺院(イスタンブール)


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