第40回●「ボンク」耳と鼻を澄ませば

小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

ボンク(ロバ)

「カカカカーン、カーン、カーン」。朝7時ちょうど、朝の読経の開始を告げる鐘がメンツィカン構内に鳴り響く。最後にもう一つ「カン」という駄目押しの音は、生徒会長の「ほら、起きろ」という強い意思表示である。なぜだろう、チベット社会ではお寺はもちろんのこと、学校でもいまだに電動チャイムではなく、手で鐘が叩かれる。だからその年によって音色も変わってくるのはなんとも趣ぶかい。そして30分間、構内は読経の声で満たされる。
「パレ、パレ、パーレーー」。7時半ころになるとパン売りの声が聴こえ、職員の家族が寝巻き姿で中庭に集まってくる。徐々に声を大きくし最後のレーは極端なまでに伸ばして、フェイドアウトさせていくあたりが、意識の輪郭の不確かな朝の空気に似合っている。

イドゥリ 南インドの特産品。米粉から作った蒸しパンをココナッツミルクにつけて食べる。

「イッドゥリー」。二限目が終わりそうになるころ蒸しパン売りの甲高い声が構内に響き、生徒たちは空腹感とともに気もそぞろになり始める。そして授業が終わるやいなや、10ルピー(約30円)を握りしめてサルスベリの木の下へと走るのである。そんなある日、なぜか蒸しパン売りが来ないことから、ふざけて「イッドゥリー」と大きな声で物まねしたところ、みんな本物と間違えて出てきてくれたのは本望であったが、「ニョブソン(やってらんねーよ)」と怒って帰ってしまった。ごめんなさい。ちなみに「イッ」までを頑張って引っ張り、「ドゥリー」を一音節のごとく早口でいうのがコツである。

「チャビー、チャクー、タラー、レンガー(鍵、包丁、錠前、はいらんかねー)」お昼ごろには鍵と包丁売りのインド人が自転車を引っ張って現れる。僕は彼の独特の「さおやーさおーだーけー」のようなリズムの声が大好きだ。そのほか「マッチー」と頭に魚を載せて叫ぶ魚売りの声もいい。最後に極端にアクセントを置き、声を裏返すのがポイントである。そして夜7時になると、鐘が鳴り響き、ふたたび構内は読経の音で満たされる(第10話参)。

鍵と包丁売り

街や学内にあふれる音は普段は気に留めることもなく脇役でしかない。しかし、2007年春、音の研究をされているSさんが全盲の奥さんを伴ってメンツィカンを訪れたとき、人肌の温もりを伴った街のざわめきは一気に主役へと躍り出た。まず奥さんが「カランコロン、カランコロン」という鈍い鈴の音に強い興味を示された。
「これは何の音ですか」。
「ああ、石や砂を運んでいるロバ(ボンク)の鈴の音ですよ。校舎を増築しているんです」
そして、その昔、何も知らずに自分のカバンにロバ用の丸い鈴をつけていたら大笑いされた話や、チベット医学とロバの関わりについて説明してあげ(第8話参)、次第に僕はいつもの調子を取り戻していった。実は正直なところ、視覚に頼る情報抜きにして何をどうやって解説したらいいのか心底、戸惑っていたのだ。ロバさんありがとう。

デク・ラ・レテ・ドゥムプル・ボン・タク・チョク
痛風にはイボツヅラフジが、リウマチにはロバの血が最高である。
四部医典結尾部第26章

製薬工場に近づくと「懐かしい薬草の香りがしますね」と今度は匂いに興味を示された。なんと実家が偶然にも僕のふるさと富山の売薬を営んでいるという。そしてチベット医学と富山の売薬の不思議な共通性(第27話参)についての解説を端緒として、僕の舌はさらに勢いを増したものだった。そうだ、講演会でもスライドや映像を使わずに、言葉の力だけで薬草や医学の楽しさを伝えられないだろうか。その昔、囲炉裏端では老人の言葉に子供たちが想像を膨らませながら熱心に耳を傾けたことだろう。囲炉裏講演会。うん、面白そうだ。
「ところで小川さんの好きな音は何ですか」Sさんの問いに僕は思いを巡らせる。
「デーデ、ポッポポー、デーデ、ポッポポー。こんな鳴き声、御存知ですか?キジバトの声を聴くと、小さな頃、家の縁側の安らかな陽だまりを思い出すのです」

見送りのとき、僕はロバの鈴を奥さんにプレゼントしてあげた。「カラン、コロン」という音を聴くたびに街の雰囲気と、僕のふざけた話を思い出してくれたらと願いつつ。そしてSさんが音に関わっている理由が、最後になってようやく理解できたのは少し遅すぎただろうか。
みなさん、今度、ダラムサラで一緒に耳と鼻を澄ましてみませんか。

小川 康 プロフィール

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