第45回●「ユンワ」薬草配合の真理

小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

ユンワ(ウコン・ショウガ科)の白い花 撮影:メンツィカン薬草植物園・ダラムサラ

2008年2月27日ダラムサラの夜、僕が丹精込めて作ったオリジナル・スパイスカレーを、ゆ君(仮名・居候)は不味いとも美味いともいわず「食えますよー」とだけ感想を述べ、すぐに口直しをするかのごとくチョコクッキーを食べて、いま目の前で図々しく寝そべっている。「今度は市販のカレールーで作るよ」と僕が自虐的に言ったとき「えっ本当ですか」と眼を輝かせた君をずっと忘れはしない。その言葉がどれだけ僕を傷つけたのか、これから君がカトマンズで修行に入るという十万回・五体投地の最中に仏の御加護で気がつくであろう。恐れ多くも薬草の達人として宣伝されている小川康が作ったカレーに君は満足しなかったようだね。
マスタードシードを香ばしく炒め、タマネギの甘味がでるまで丁寧にかき混ぜ、ウコン(ターメリック)、シナモン、グローブ、クミン、チリ、カルダモン、黒胡椒を絶妙の配合比で加え、ココナッツミルク、トマトを加えて煮込んで出来上がる。どこにも落ち度は見当たらない。スパイスをすり潰す真っ白な大理石のすり鉢にもこだわりが感じられる。なにしろ大学を卒業して自由の身を獲得するとすぐさま5年間暮らした寮をでて、台所付きアパートを借り、カレー作りに取り組んだのである。薬草を食事の中で何気に用い、何気に病を防ぎ癒すこともチベット医であり薬剤師でもある僕の大切な仕事ではなかろうか、などという口上を胸に秘めてきた。事実、上記のスパイスは全てチベット薬でも汎用されているのである。

ユンワ・ドゥクセル・ルーチュ・ニェンネ・ジョム
ウコンは毒を消し、腐蝕部分を癒し、ウイルス病を破壊する。(四部医典論説部第20章)

しかし、その気障な口上はしかるべき時期、つまり美味しいカレーができるその時まで埋蔵経のごとく何年も世に出ることは叶わないかもしれないと不安に駆られたいま、10年以上も前にぶつかった大きな壁が再び甦ってきた。

中央上から時計回りに、ウコン、シナモン、カルダモン、胡椒、コリアンダー、グローブ

1995年秋、周りには熊避けの電線が張られるほど山深い場所に位置する薬草茶会社に僕は研究員として入社し、薬草の学びが本格的に始った。そんなある日、僕は思いたったかのように、ドクダミ、よもぎ、すぎな、柿の葉、など20種類の薬草の相性、それは二つの組み合わせだけで実に200通りにもなるのだが、これを全て実験してみた。そして二ヶ月間、毎日、朝から夕方まで薬草を混ぜてお茶を飲み続けた結果、意外にも相性の良し悪しがあることが判明したのである。たとえば、ドクダミと柿の葉は相性がよくブレンド茶は丸みがあって飲みやすくなる。一方、ウコンやスギナはとても自己主張が強く他の薬草と化学反応を起し白い沈殿物を生じてしまう。一見、無邪気な実験だと思うだろうが、考えてみればまさしく東洋医学何千年という歴史の原点であろう。そして、さすがに三種類以上の組み合わせとなるともう気が遠くなるので諦めたけれど、果たして漢方であれチベット医学であれ、十種類近くの薬草が理論的に配合されたという処方を何百種類と完成させるまでに、いったいどれくらいの労力と年数を要したのか空想が膨んだのを覚えている。そして同時に、何故、このような初歩的な実験の過程が太古の記録として残されていないのか微かな疑問を感じたものだった。
そして、そんな僕に、いよいよ満を持して新商品の開発が任されたのである。しかし、十種類の薬草を絶妙の割合でブレンドしたはずの特選薬草茶の売り上げは予想に反して散々で各営業所から「いくら効能があっても、まずくちゃ売れないよ」との厳しいお叱りを受けてすっかり自信を喪失してしまったものだった。
あれから10年、真のアムチ(チベット医)であり世界一の薬剤師を目指すために、農場で働き、ヒマラヤを駆け回り、厳しい寮生活に耐え、教典を暗誦したけれど、僕に足りない最後の決定的なピースは「料理のセンス」なのは間違いないと、いま、あらためて痛感している。大自然の混沌の中に薬草配合の真理が隠されているとすれば、それは美味しく、美しく仕上がるということではないだろうか。

ダラムサラ ホテル・バグスのインドカレー

ゆ君、君が十万回・五体投地、一千万回・真言の修行を満願した暁には、スジャータの乳粥*のごとく、究極のカレーで心と体を癒してあげよう。それまでに僕も君に負けないくらい、ダラムサラで料理の修業に打ち込むからさ。       (2月27日夜、記す)

*スジャータの乳粥:お釈迦さまが苦行を止められた際に、スジャータという女性が差し出した一杯の乳粥で体力を回復された。

追記:チベット語が堪能な「ゆ君」はたまにダラムサラツアーにおいてスポット参加し、ツアーを盛り上げてくれています。また、上記のスパイスはダラムサラやデリーで入手が可能です。

小川 康 プロフィール