第53回●「ヤク」肉が嫌いでごめんなさい

小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

 ヤク 撮影インド・マリー

2007年、この年がダライ・ラマ法王の厄年に当たることから、厄除け祈願のためにチベット社会では肉食を控える動きが広まった。仏教の教えの中にある十の不道徳のうち殺生は第一番目に挙げられているためである。

殺生、泥棒、不倫、嘘、無意味な言葉、他人を傷つける言葉、仲たがいさせる企み、他人のものを欲する、他人を害しようと考える、仏法を否定する。これら十の不道徳は慎みなさい。
 四部医典論説部第13章

チベット人は世界を代表する仏教徒でありながら肉食民族であるという大いなる矛盾は、環境的な要因もありしょうがない一面もあったであろう。チベットを代表する家畜ヤクは貴重なタンパク源であるとともに、その皮は舟や服、袋などに利用され捨てるところは無かったという。またヤクの干し肉を食べると体が温まることから寒冷なチベット高原には欠かせない食料だったのである。

ヤクシャ・ヌムトゥ・ダンセル・タク・ティー・ケ
ヤク肉は、油性、温性、を備え、寒性の病を癒し、血とティーパを生みだす。
 四部医典論説部第16章

しかし、野菜と果物が豊富なインドに亡命した現状においてはその口上も通用しなくなってしまった。事実、肉を好んで食べるチベット人に接し、失望する外国人旅行客をたまに見かけたものである。チベット暦の新年には、ことさら肉料理で祝う習慣があることから、ダライ・ラマ法王は新年のスピーチでいつも「みなさん、私たちにとってめでたい新年が近づいてくるとダラムサラ周辺のヤギさん、羊さんは怖くてブルブル震えていますよ。少し考えてみてはどうですか」と冗談を交えながら語られていたものだった。
そして2007年を迎えるにあたりメンツィカンにおいても学生食堂のメニューを完全菜食にするか、肉食を一部許可するか、生徒全員を集めて議論が行われた。採決の結果は27対26、僅か一票差で完全菜食メニューになることが決定したのである。思えば5年前の2002年、僕は学生食堂に菜食メニューを加えてもらうよう、当時、少数派だった菜食の学生たちを扇動して大学に要望書を提出したものだった。そのころ水曜日以外は全て、においが苦手なヤギ肉中心のメニューだったのである。

 メンツィカンの食堂

しかし新入生がいきなり意見をするとはけしからん! と食堂責任者の激しい怒りを買ってしまい一蹴されたことを考えると、僅かな間にチベット社会の認識が大きく変わったことを実感させられる。同様にTCV(チベット子供村)や政府官庁の食堂でもいっせいに菜食中心に切り替えられ、ようやく仏教徒にふさわしい食生活が実現されはじめたともいえる。法王の厄年が過ぎた2008年になっても菜食運動は依然、広がりをみせており、アムチ(チベット医)の観点からするとコレステロールや高血圧の症状に変化が現れるかもと期待している、
チベット医学教典には動物薬、昆虫薬が多数記されてはいるが、これも我がメンツィカンにおいては仏教の精神に基づいてほとんど使用していない。たとえば熊胆の代わりにサフラン、麝香の代わりに白ヨモギ(第27話参)、羊脳には脳石という形状が脳に似た石を用いるように、代替品が正式に認められているのである。

しかしこれらの菜食運動はあくまで仏教の観点に基づいたものであり、僕個人としては、肉でも何でも好き嫌いなく食べることが素晴らしいことだと思っている。それはきっと、20歳まで肉を体が受け付けず、肉食偏重の日本社会において肩身の狭い思いをし続けたという辛い経験があるためだろう。だからこうして菜食文化が根づいたインドで暮らしているうちに、もしもインドで育っていたらどれだけ楽に過ごせただろうかと思いを馳せることがある。仏教の聖地ダラムサラを訪れる欧米の菜食主義者が胸を張って声高に主張しているのをみると羨ましく感じるときがある。でも同時に「肉が嫌いでごめんなさい」と小さく、うつむきながら生きていた自分の幼少時代をいとおしく、そしてそれでよかったんだ、とも密かに納得している。願いが叶って今は肉を食べられるけれど、結局はどちらにしても「ごめんなさい」と生きていかなければならないのかもしれない。

小川 康 プロフィール