第59回●「グンドゥム」良薬は口に美味しい

小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

グンドゥム(ブドウ)

1月のある日、病院に出勤してみると、なぜか指導医の先生が誰もいない。「オガワ、今日はあんただけだから頑張ってね。みんな結婚式に行っちゃったのよ」とは薬剤部のおばさんの談。普段は指導医の不在時に数人の患者を受け持つことはあっても、こうして一人で任せられることは今までなかった。とはいえ、こうなっては腹をくくるしかない。
「はい、次の方どうぞー。え、咳が出てお腹が少し痛むの? でも食欲があって、夜もぐっすり眠れるなら心配はない。すぐによくなるよ。脈も異常ないからね。じゃあ、朝はザクロの薬(第37話参)、昼は喉に効くブドウの薬。甘くておいしい薬を出しておくから、しっかり服用しなさい」

グンドゥム・ロネ・セルシン・ツェパ・ジョム
ブドウは肺の病を癒し、熱を下げてくれる。 『四部医典』論説部第20章

患者たちはとりあえず笑顔で帰っていくが、果たして本心はどう思っているのだろうか。アムチ(チベット医)は基本的に患者に対し「たしかに脈に異常がある。あれは食べちゃ駄目」と指導系の診察を行う一方で、僕は日本の薬店での接客癖が抜けないためか「大丈夫だよ」と楽観・安心系で診察を行うことが多い。またチベットでは「良薬口に苦し」の思想が強いため苦くて不味い薬がほとんどだけれど、僕は「良薬は口に美味しい」という信念を昔から抱いているのでザクロやブドウなど口に優しい薬を出すことが多い。これらのギャップにチベット人は「この医者、ほんとに大丈夫か」と不安に感じているかもしれない。とはいえ、こうして次々と患者を診ているうちに、薬剤師時代の心地よいリズムが蘇ってきた。

「はい、次の方どうぞー。え、吐き気がする。いつから? 処方歴をみると随分チベット薬を飲み続けているね。効いていないのかな」
15歳くらいの女学生が泣きそうな顔で腹を押さえている。
「あのー、学校を休むための証明書を書いてもらえますか・・・」
「どうしたの、そうか、学校は楽しくないのか。勉強は難しい? 友達はいるんでしょ。うーん、じゃあ、とりあえず薬は出しておくけど、学校は頑張っていきな。ごめんよ、研修医には証明書を出す資格はないんだ」
チベット社会にも日本と同じような悩みを抱えている若者はたくさんいる。そんな彼らにとっては、もしかしたら外国人の僕のほうが甘えやすく都合がよいのかもしれない。

「おばあさん、タシデレ(こんにちは)。アムドの青海省からいらしたばかりですか。え、なんですって。偉いラマ(高僧)に占ってもらったら、今日、この日に、この病院に行くようにお告げがでたって。そして、当たったのがこの私ですか…、はあ…(呆然)。あっ、ええ、大丈夫ですよ。腰が痛いんですか。はい、まずは脈を診ましょうか」
うっかり、その罪作りなラマのお名前を訊くのを忘れてしまったが、少なくとも僕は貴殿に占いをお願いすることはないだろう。残念ながら僕は優れたアムチではないと自覚している。なぜならたった10年しかチベット社会で暮らしていないのに、30年以上もチベット人として生きている同級生、先輩方に敵うわけはないではないか。しかし、そんな僕でも患者と楽しくお喋りをし、眼の前で処方箋をチベット語速記体でスラスラと書くことで、ようやくアムチとしての信頼を得ることができていると自負している。チベットにまだ検査機器と電子カルテがなくてよかった。僕が診察室でアムチであると証明できること、それはチベット語でのお喋りと処方箋の文字だけかもしれないが、言い換えれば少なくとも習得に10年は必ずかかる、アムチとして最低限の技術であり呪術なのである。

薬剤部のおばさん

振り返れば10年前、薬剤師としての実力に物足りなさを感じてチベット医学を目指したものだったが、結局のところ、喋る言語が変わっただけで今も昔も何も変わっていないことに気がつかされる。遥か彼方、天上の国の医学を求めて旅立ったけれど、辿り着いた先は以前と同じ見慣れた風景だった・・・。まるで青い鳥の物語のように。
そしていつの日かブドウを口にしたときに、ダラムサラでの研修医時代の日々を思い出し胸の辺りがほんのりと温まることだろう。


小川 康 プロフィール