第115回●キモノ ~日本人であるとは~

tibet_ogawa115_3チベットの民族衣装
チュパ姿の筆者
ラサの郊外にて

日本の着物に対するチベット人の憧れは、日本人が思う以上に強くて驚かされる。メンツィカンの同級生の何人かは、どこで手に入れたのか、日本女性の着物の写真を部屋に飾っていたものだった。だからなのか2002年、メンツィカンに入学して最初の学園祭のとき「オガワはキモノを着て登場してくれ」とリクエストされたことがある。しかし残念ながら僕はキモノ・ハカマ(袴)をダラムサラに持参していなかった。それならばと「レストランでスシを作ってくれ」という提案にも「ごめん。作った経験がない」と断るほかなかった。そのほか、マイクなどの電子機器が故障するたびに「オガワは日本人だから直せるだろう」という周囲からの期待を裏切り続けた。バイクを直してくれと頼まれたことも1度や2度ではないが、こちらもまったくの苦手分野である。彼らにとっては日本といえばソニー、ホンダであり、日本人なら電化製品や機械に詳しいだろうとチベット人に限らずインド人も思い込んでいる。「この棒をカラテ(空手)で折ってくれ」と半分冗談のリクエストにも応えられるはずはなく、さらに、普段、とても日本人とは思えないほど粗末な服装をしていたことから「お前は本当は日本人じゃないんだろ」と半ば、真面目に疑われていたものだった。日本語を話したところで彼らには理解できないし、眼で見て「オガワが日本人である」ことを証明する確実な要素は何もなかったのである。
ちなみにそうした民族論は、国を失ったチベット人の間ではさらにリアリティを持って論じられている。アメリカや欧米で暮らす亡命チベット人の比率が増すにつれて、チベット語を話せない欧米化したチベット人が増えているからである。そういった意味では、普段、「日本人であるとは?」と考えずに済む我々は幸せなのかもしれない。

tibet_ogawa115_4ノルブリンカ宮殿にて

そうして日本人としての期待を次から次へと裏切り続けた複雑な思い出を、先日、2012年3月のダラムサラツアーの際、参加者の1人が思い起こさせてくれた。なんと、彼女はダライラマ法王のティーチングのために、わざわざ日本から着物を持参してくれたのである。その自然な佇まいは普段から着こなしていることが伝わってくる。決して派手すぎない落ちついた着物の色合いは僕も一目で素敵だなと心を奪われた。そして、当日、お寺に詰めかけたチベット人、外国人の視線を誰よりも集めたのは間違いなく彼女だった。特に背中の帯の結び目や模様が彼らにとっては気になるようだ。チベット語であちこちから「アマー、ゼマラー(なんて美しいの!)という感嘆詞が聞こえてきて、調子のいいことに僕まで鼻高々になってきた。

tibet_ogawa115_2着物を着てチベット寺院を参拝する
ツアー参加者

僕はその場に居合わせなかったが、ダライラマ法王も説法を終えて戻られるとき、一瞬、立ち止まられて視線を送られたという。あらためてチベット人の着物に対する憧れの強さを実感するとともに、学生時代、何1つ、日本人としての期待に応えることができなかった自分を思い起こした。それに比べて、彼女はわずか1日で、しかも一言も発せずとも日本の魅力をチベット人に伝えてくれたのである。

tibet_ogawa115_1チベットの伝統衣装チュパを着て踊る
メンツィカン学生
学園祭にて

ちなみにその後、「なるほど、これが日本人なのか」と僕が同級生たちに納得させた出来事といえば、時間に几帳面なことと、薬草採取にしろ暗誦試験にしろ異常なまでに頑張りすぎることであろうか。その結果「だから日本は自殺者が多いのか」と納得させるに至り、決していいイメージを与える日本代表ではなかったことを、ここに反省点として告白しておきたい。
そういえば、もう1つ、僕が決定的に日本人であることを証明したことがあった。日曜日、食堂でみんながテレビを見ているときのこと(平日はテレビが禁止されている)。僕はテレビの前を腰を屈めながら、片手で「ごめんよ」と手刀を切るように小走りで通り過ぎた。すると、ドッと笑いが起きたのである。テレビの内容でみんなが笑ったのかと気にも留めない僕に向かって、同級生が大きな声で教えてくれた。「ダライラマ法王のティーチングの時も、日本人だけはそうやってみんなの前を通り過ぎていく。いったい何の意味があるんだ。変な習慣があるんだな」と。

もしも日本国パスポートがなかったとしたら、バイクもコンピュータも修理できず、袴も着ていない僕は、腰を屈め、片手で手刀を切りながら小走りすることでしか日本人であることを証明できないのだろうか。というのは冗談だけれども、いつの日にか四部医典の日本語訳を完成させるなど、僕にしかできない業績をあげることで「やっぱりオガワは日本人だったんだ」とみんなを納得させたいと思っている。それまで、メンツィカンのみなさん、僕が本当に日本人なのかどうかの決定は保留のままでお願いします。


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