第117回●ラプク ~日本の名薬~

tibet_ogawa117_1島根の名薬「一等丸」

2012年3月4日からのダラムサラツアー中、参加者のお一人が日本から持参した胃腸薬を取り出したとき、僕は思わず驚きの声を上げてしまった。なんと島根に伝わる名薬「一等丸(いっとうがん)」ではないか。製造元の津和野でしか限定発売されないため、入手が困難な薬なのだが、こうしてダラムサラではじめて出会うことになるとは不思議な縁である。

僕は以前から日本古来より伝わる和漢薬に注目しており、その名の通り『日本の名薬』(山崎光夫著 文春文庫)は僕の必携書となっている。チベット医としてチベット薬を勧めるのはもちろんだけれど、日本に生まれ育った薬剤師として日本の伝統薬を勧めるのも大切な使命だと心得ている。

山崎先生は著書中で40種の名薬を紹介されており、そのなかでトップバッターとして紹介されていたのが「一等丸」だったのである。センブリ、黄蓮などの苦味健胃薬はさほど珍しくないが、芳香が強い龍脳や丁子を用いているのは特異な配合で、実際、口にすると清涼感のある香りが広がった。一等丸は同じ津和野出身の森鴎外が愛用し、薬の命名に関わっているという説がある。軍医でもあった鴎外であるから「一等」という命名がうなずける。

tibet_ogawa117_2チベット医学・薬草研修センターで
扱っている和漢薬

 これら伝統的和漢薬は、自然の生薬や鉱物で作られるのはもちろんのこと、それぞれの地域に根ざし、御当地の物語があるという共通点がある。たとえば有名なところでは富山には反魂丹、三重には萬金丹、長野には百草丸、奈良には陀羅尼助、佐賀には鳥犀圓(うさいえん)、岐阜には下呂膏がある。反魂丹は越中富山の配置薬の起源となり、萬金丹は伊勢参りのお土産として珍重された歴史がある。この二つは「♪越中富山の反魂丹、鼻くそ丸めて萬金丹、それを飲む奴ぁアンポンタン」という囃子歌とともに全国に広がった。百草丸は木曽御岳の山岳信仰とともに広がり、陀羅尼助は大峯山の山岳信仰とともに広がり、その歴史がある。鳥犀圓は富山の薬売りを偽って侵入する隠密を締め出すために、薬売りの出入りを一切禁止し、その代わりに地元での薬の製造に迫られて生まれたという。

tibet_ogawa117_3 ダクメン15 

一方、チベット薬にも素敵な物語が込められている。たとえば「ダクメン15」という薬があり、これは11世紀にダックポ医聖によって、15種類の薬草を配合して作られたメン(薬)であることから、その名がつけられている。なんでも、お母さんが大根(チベット語でラプク)の食べ過ぎに起因する消化不良によって亡くなってしまった。そのとき医聖は母の遺体を解剖してまで原因を突き止め、慢性胃病に効果があるこの薬を開発したという。塩味が強烈で真っ黒なこの薬は、現在、特に雨季の時期の胃病に処方され効果を上げている。そのほかタントン・リルカル(第7話)ダシェル(第19話)マニリルプ(第36話)高貴薬(第86話)リムスン(第89話)、弁財天の丸薬、金剛菩薩薬など、その薬にまつわる物語だけで治ってしまいそうな薬がチベット医学にはたくさん揃っている。

 チベット薬と和漢薬は、どちらも自然の生薬を用いて手作りで製薬される。どちらも物語や伝説よって育まれる郷土愛に守られている。もちろん、どちらも薬の効き目は確かだけれど、仮に効果が今ひとつだったとしても、信頼はけっして揺らぐことは無い。個人、個人の身体の健康を守るとともに、社会に伝わる薬の物語を共有することで「個」の意識が小さくなる。個よりも社会が上にくる。そしてそれが知らず知らずのうちに社会の安定と個人の健康につながることこそが、チベット薬や和漢薬のどちらにも秘められた効能ではないだろうかと僕は推察している。

ツアーの最終日に、参加者のAさんが一等丸を僕にプレゼントしてくれた。それから薬を何度か服用しているうちに島根の津和野を訪ねてみたくなってきた。これも和漢薬の効能だろうか。もう残り少なくなってきた一等丸を大切に噛みしめながらこのエッセーをしたためています。Aさん、ありがとうございました。
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参考文献:『日本の名薬』 (文春文庫) 山崎 光夫

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