第131回●ヤマ ~チベット人の名前~

診察室にて。僧侶はヤマさんではありません。
診察室にて(僧侶はヤマさんではありません)

メンツィカンでの病院研修があと数日で終わり(第59話)、いよいよ日本へ帰国するという2009年3月のある日、40歳前後の僧侶が胃痛を訴えて診察に訪れた。すっとした顔立ちには智性が浮かび、謙虚なたたずまいには僧侶としての心持が感じられる。「では、朝の薬に月晶丸(第19話)を出しておきますね。油っぽい食事は控えてください」と僕は彼に告げ、続けて「お名前は?」と尋ねた。「ヤマ・サンポです」と僧侶は答える。ヤマ・サンポ、ヤマ、ヤマ……、チベット人には珍しい名前だ。どこかで耳にしたことがあるような気がするけれど、すぐには思いだせない。そして、あっ、と思い当たると、僕は次の患者には眼もくれず、薬剤部に向かう彼の背中を追い掛けていた。

「私は日本人です。もしかして、10年前に、南インドのセラ寺で出会った方ではありませんか」。勢い込んで話す僕の眼を見ながら「やはりそうでしたか。それにしても、本当にチベット医になったとは驚きました」。そう語る彼の笑顔は、僕の記憶の片隅で埋もれそうになっていた南インド旅行の記憶を掘り起こしてくれた。

2000年1月、メンツィカンへ入学する前に、南インドにあるチベット人居住区バイラクッペを訪ねたことがある。デリーから南インドの中心都市バンガロールまで電車で44時間。そこからバスで8時間の場所にバイラクッペはある。そのバスのなかで、たまたま一緒に乗り合わせた僧侶がヤマ・サンポさんだった。バイラクッペにあるセラ寺に帰るところだという。たどたどしいチベット語で話しかける僕が頼りなく映ったのかもしれない。セラ寺に到着すると寺院が経営するゲストハウスを紹介してくれるなど3日間の滞在中、一切の面倒を見てくれた。ヤマさんは一生懸命、チベット語で仏教の解説してくれたけれど、当時の僕にはほとんど理解できていなかったように思う。「チベット医学を勉強したい」と語る僕の言葉を、果たしてあのときヤマさんはどう受け止めていたのだろうか。ダラムサラに戻った後は、数回、手紙を書いて以来、ずっと音信は途絶えたままだった。

問答に励む僧侶(ヤマさんではありません)
問答に励む僧侶(ヤマさんではありません)

あるとき、ヤマという、他では耳にしたことのない珍しい名前が気になって調べてみた。我が子が幼くして死んだとき、次に生まれてくる子は丈夫に育つようにと願いをこめてヤマ(閻魔大王)という名前が付けられるという。僕はこれを切っ掛けにチベット人の名前の由来に興味を持つようになった。テンジン(仏法の保持)、タシ(吉祥)、ペマ(蓮)、ツェリン(長寿)、ソナム(功徳)、サンポ(善良)など仏教に由来するか、もしくは生まれた曜日でダワ(月)、ミクマル(火曜)、ハクパ(水曜)か、または、チョウガ(満月)、ナムカン(三十日)など暦にちなんだものばかりなために、日本に比べるとバリエーションはとても少ない。ある意味、名前に個性を求めない文化は謙虚で質素だと、見方によっては良くも捉えられる。しかし、一方で弊害もあり、たとえば患者のカルテを探すときに、何月何日の何時にきたタシさん、と言ってもらわないと探すのに時間がかかってしまうことがある。だからこそ、ときに珍しい名前に出会うとその由来や地方について興味が惹かれ、「あなたの名前の由来はなんですか」など、診察とはまったく関係のない名前の話題で盛り上がったものだった。たとえばツァムチュという名はヤマの反対で、子どもはもう要らないというときに付けられる。だから「お兄さん、お姉さんがたくさんいるでしょう」とこちらから尋ねることで、患者の家族の話題に広がったこともある。そうして最後に患者の名前を処方箋に達筆で記し自己満足に浸るのが研修医時代の僕の楽しみだったのである。僕は脈診や尿診よりも、名診(名前診断)の腕を磨いていたといえるかもしれない。そして最後の最後にヤマと処方箋に記すことができたことの偶然。僕が医師でヤマさんが患者として再会するとは、10年前には想像もできなかったことである。
ヤマさんはダライ・ラマ法王の説法を拝聴し終えると南インドに帰っていった。もしもセラ寺を訪ねたならヤマ・サンポさんを是非、訪ねてみてほしい。珍しい名前だから、きっとすぐに分かると思う。そして、小川は日本で元気にやっていると。また、いつか会いましょうと伝えてほしい。

参考
チベット人の名前については現代チベット語会話Vol.2の第38章に詳しく書かれています。
外国人でもダラムサラにあるツクラカン(ダライ・ラマ寺院)の事務所に願い出れば、特別にチベット名をいただくことができます。

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