第202回 ポポ ~山びこ学校~

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「ちょっと、小川君。たいへん、これ水疱瘡じゃないの」。
戸出西部保育園の大村先生が大騒ぎしたときのことを、当時4歳だったにも関わらずはっきりと覚えている。しばらくして、おじいちゃんが保育園の前の田んぼを横切りながら僕を迎えに来てくれた。たしか黒い長靴を履いていた。普段、迎えはおばあちゃんで後にも先にもおじいちゃんの迎えはあのときだけだ。だから40年後の2013年の夏、その水疱瘡ウイルスが帯状疱疹という形でふたたび僕の左半身に現れたとき(注)、真っ先に40年前の情景が脳裏に甦った。まるで、

おじいちゃん(1909年生まれ。以下、祖父)が黒い長靴を履いてあの世からやってきたように。帯状疱疹に罹った2013年、僕は早稲田大学の大学院で教育学を学んでいた。一週間の休養で病が治ったあと、ふと大学図書館で一冊の本に目が止まった。『山びこ学校』。そういえば小学校の校長先生だった祖父の座右の書だ。自然と本棚に手が伸びた。

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祖父

 『山びこ学校』は1951年に出版された山形県山元中学校生徒の生活記録である。戦後、日本国による教育統制が始まる昭和27年以前の自由な社会環境のなか、無着成恭(むちゃくせいきょう)先生によってのびのびとした教育が行われた。本書は無着先生によって編纂され教育界はもちろん一般社会でも大評判になった。当時の教師たちはそこに新しい教育実践への希望を見出し、教育学者たちはその理論化こそ、これからの仕事だと考えたという。ただ、生徒たちを取り巻く農村社会を批判的に、かつ赤裸々に表現する文章が多かったことから、一部から強い批判を受けた。事実、無着先生は学校を追われている。

僕は本書を通して祖父の教育理念に触れられるのではと期待しながら読み進めたものの、残念ながら教育現場の経験が少ない僕には共感を覚えることはできなかった。ただ『山びこ学校』との出会いを契機として祖父の生きざまに初めて興味が湧き起こった。そして足跡をさらに追いかけると、ついに祖父の言葉と出会うことができた。祖父は元小学校教員である義理の叔母に『わたしの学級経営』という本を託していたのである。1961年当時、祖父と同じ小学校に勤めていた著者の谷川瑞子先生は祖父について次のように述懐している。

「教育とは、単なるものしりをつくることではない。考える力を持った子を育てることである。もっと子どもをたいせつにせよ。思いきって予想のはずれる学習をせよ。子どもを授業の主体者にせよ。」と重松(鷹恭教授)理論をかみくだいて(小川校長は)私に教えてくださった。P208」
叔父によると祖父は富山県の民主教育改革運動の先頭に立っていたという。小学校の新校舎を建設するにあたって当時としては斬新な「壁のない教室」や「平屋の校舎」を主張し教育委員会とはげしく対立した。そして、その煽りを受けて富山の秘境、合掌造りで有名な五箇山の小学校に飛ばされたこともあったそうだ。1950年代後半からはじまった教育の国家統制強化という教育史を祖父の履歴から知ることができた。

 そうして祖父の面影を感じはじめていたころ、富山の実家から12キロ離れた高岡市石堤公民館(旧石堤小学校跡)へ「チベット医学の世界」と題した講演に呼ばれた。壇上から見渡すと参加者は60歳以上の年配者が多い。講演の冒頭で自己紹介をした。すると「戸出の小川さんというと、もしかして、小川正久先生のお孫さんでは」といきなり質問が飛んできた。そして公民館の本棚の奥から古びたアルバムがでてきた。慌てたようにページがめくられて昭和26年で手が止まった。なんと……記念写真の中央には祖父が校長として写っているではないか。校長といってもいまの僕と変わらない45歳。祖父と同じ年齢で、同じ場所で、同じ生徒たちにむかって語りかけていることの奇跡的な偶然。

tibet_ogawa202_4昭和26年の卒業写真

もしかしたら、祖父は自分が成しえなかった「山びこ学校」のような自由教育の場作りの夢を孫に託したのではないだろうか。なぜかしらチベット医学に導かれ、さらには早稲田大学の教育学コースに入学し、さらにさらに森の中に平屋の薬房「森のくすり塾」を建設することに至ったのも、もしかしたらすべては祖父に導かれているのではないだろうか。とんでもない空想なのは承知のうえだ。ただ、これだけは確実にいえる。「くすりや薬草の“もの知り”をつくることではない」という森のくすり塾の理念の一つは、13歳まで一緒に暮らした祖父(チベット語でポポ)から知らず知らずのうちに受け継いだ教育理念だったのだろうと。そして、いつも自他ともに予想のはずれるワークショップや講義をやってしまうのも、また、体制的な薬教育に対して問題意識を抱いているのも(第184話)、たぶん祖父の影響なのだろうと。
 孫、つまり僕が祖父の教育理念に気が付き、そのバトンをしっかりと受け止めたからだろうか。2012、2013年と二年続けて出現した帯状疱疹は、一昨年の夏も昨年の夏も現れなかった。

tibet_ogawa202_1薬房 森のくすり塾


幼少時に罹った水疱瘡のウイルスは神経節に潜伏している。大人になり抵抗力が衰えたときにムクムクと復活してくるのが帯状疱疹である。

参考文献
『山びこ学校』(無着成恭編 河童書房 1951)
『わたしの学級経営』(谷川瑞子 明治図書 1971)

案内
薬房 森のくすり塾は(たぶん)8月1日にオープン予定です。薬販売の許可が下りるのはまだ2週間かかりますが、ハーブ、書籍、お香、雑貨(とやまの飴など)の販売を先行開始します。近くには素敵な喫茶店パニや、おもちゃ工房もあります。ぜひ、お出かけください。詳しくは「森のくすり塾」のブログ、フェイスブックで確認してください。場所は上田市野倉の塩田水上神社の下です。なお、薬房ではチベット薬と第一類医薬品(ちょっと強めの薬)は取り扱いません。
※その後、8月1日に正式に医薬品販売許可が下りました。



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