第270話 バアチャ ~リサイクルと薬~ チベット医・アムチ小川の「ヒマラヤの宝探し」

マニ・リルプの原材料 マニ・リルプの原材料

観音様の御加持が込められるマニ・リルプ(第36話)の製薬をしているときのこと。材料のなかにチェスの型をした木がたくさんあることに気がついた。これはチェスの駒を繰り抜いたあとの白檀だという。チベット医学の聖典である四部医典には「白檀は肺と肝臓の混乱した熱を消除する。」とあり、メンツィカンでは主に解熱剤として汎用している。廃棄物なだけにかなり安く入手できたとともに、チェス駒だけに良質の白檀を使っていることは想像に難くない。インド人からこの入手ルートを確保したメンツィカン職員を(誰かは知らないけれど)僕は心から尊敬したものだった。また、数少ない動物性生薬である蟹殻、牡蠣殻も食料廃棄物から有効利用されており、薬のための殺生は行っていないという意味ではチベット仏教的に評価が高くなる。今回は廃棄物と薬の関係に言及したい。

西洋薬は廃棄物の有効活用から発展した歴史があるというと意外に思われるだろうか。19世紀後半、ロンドンやベルリンでは世界に先駆けて石炭ガスの街灯が普及したが、同時に副産物として生じるタール液の公害が問題になっていた。そのときタールに豊富に含まれる石炭酸の構造式とアスピリン(第247話)や解熱剤アセトアミノフェンの構造式が似ていることに気が付いた。そして二つをマッチングすることでこれらの大量合成と公害軽減が可能になり西洋薬が発展したという経緯がある(注1)

熊胆の素晴らしさはすでに第217話で述べたが、実際にはなかなか手に入らないし高価である。そこで現代では主に牛の胆嚢を用いている。牛胆ならば牛肉加工場で廃棄物として難なく手に入れることができる。効果効能は熊胆とまったく同じとはいかなくても、富山大学薬学部の研究によってほぼ同等であることが証明されている。パッケージに熊の絵が書いてあるのは昔からの名残を保つためで、過去に少しだけ問題になったけれど現在は正式に熊の表記が認められている。

杜仲の葉 杜仲の葉

1990年代に健康茶ブーム(第235話)にのって一躍有名になった杜仲茶。もともと本場の中国では杜仲の木の樹皮は精力剤として有名であるが、その葉は見向きもされずに散っていた。そこで杜仲の葉を日本に輸入し健康茶にしようと発案したのは故・難波恒雄先生(第116話)である。その起源はどうであれ杜仲茶はコクがあって美味しく、樹皮ほどではなくても同様の効果を少しは期待できることからお勧めである(注2)。そもそもドクダミ茶、柿の葉茶、桑の葉茶、スギナ茶など健康茶とされるものの多くは「使われていないものの有効利用」という一面がある。

バアチャ バアチャ

2015年の夏にチベットの遊牧民を訪ねたとき、バアチャと呼ばれる湿布薬に出会って僕は興奮してしまった。八世紀に編纂された四部医典にたびたび登場していたものの、実物に出会ったことはなかったからだ。バアチャとは菜種から油を絞った残り滓のこと。これを鍋で炒めてから塩を加え布に包み、温湿布として当てると打ち身や捻挫、関節痛に効果があるという。ちなみにチベット語のバアチャには原義が存在せず、現在ヒンディー語で「アーモンドの搾り滓」を同じくバアチャと呼んでいる。1000年以上も前にインドから伝わったリサイクルの智慧が、その音感のままチベットの遊牧民によって受け継がれていたとするならば、とても興味深い事象といえる(注3)

最後にもう一つ、僕がかつて愛用していたエビオスを紹介したい。ビール醸造を終えた後のビール酵母を再利用した薬で、エビオスは恵比寿ビール工場にちなんで名付けられた経緯がある。ビール醸造がはじまった昭和初期の頃は酵母の再利用法が見つからず、川に垂れ流して悪臭の原因になっていた。いっぽう当時日本は都会を中心に白米病、つまり脚気が多発していた。そんなときビタミンB群を豊富に含むビール酵母を薬に加工するアイデアが閃いたのである。栄養分が過多ともいえる現代ではその存在が薄くなりつつあるが、当時エビオスは救世主のような存在として崇められたという。まさに環境によし、健康によし、会社によし、の「三方よし」だったといえる(注4)

リサイクル、つまり生活のなかで捨てられるものを最大限に活用することで、さらなる利益が生まれてくる。もしかしたら何気に捨てているもののなかに新しい薬のヒントが隠されているかもしれませんよ。

注1
タールの有効利用は薬だけに限らず、染料やプラスチックなど多くの分野に及んでいる。なお、当時、薬への応用を研究したのはドイツ人化学者のルンゲとホフマンである。

注2
杜仲の木は現在、長野県伊那市、青木村、広島県尾道市などで栽培され葉っぱが採取されている。したがって日本では樹皮よりも葉が主役となっている。

注3
八世紀に編纂されたチベット医学聖典『四部医典』はインドから伝わった医学教典の翻訳が基本になっているために、当時のサンスクリット語からの音訳が多数見受けられる。

注4
「売り手よし」、「買い手よし」、「世間よし」、の三つの良し。古くから近江商人の心得とされている。

参考文献
『日本の伝承薬』(鈴木昶 薬事日報社 2005)

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