第104回●レテ ~幻のシャンシュン王国~

tibet_ogawa104_5レテ 和名 イボツツラフジ
撮影 メンツィカン薬用植物園

7世紀に仏教が伝わる以前からチベット民族に根差したといわれているボン教。日本の神道や修験道に喩えられることが多く、それらの趨勢と同じように今では仏教の影に隠れて宗教自体はチベット社会ではあまり目立つことはない。ボン教徒は巡礼する際に仏教徒とは反対で左回りでお寺や仏塔を回ると聞いているが、反対回りをしているのはインド人か牛くらいで、実際に出くわしたことは1度もなかった。

tibet_ogawa104_25色のタルチョ

しかし、実は5色の旗(タルチョ)や薫香を焚く習慣や「キーキーソーソー、ハーゲーロー(神に栄光あれ)」という縁起の掛け声、またチベット占い「モ(第84話)」などの習俗はボン教に起源をもつと言われ、意外なほどにチベット人の生活に今も息づいている。なにしろチベット語でチベットを意味する「ブー」という音も元は「ボン」に由来するという説もあるくらいである。しかしながら過去の歴史書をみると、ボン教が仏教徒から迫害され、民衆から偏見の目で見られた時代もあり、それはチベット医学教典・四部医典からもうかがい知ることができる。

悪い人間と付き合ってはいけない。尼僧とボン教徒を敵に回してはいけない
            四部医典・論説部第13章。日常の養生法

濁世の5百年には人々は欲望によって、誤った行動を起こす。密教行者たちは、金剛経の教えを汚してしまう。僧侶は派閥に固執して争いを起こす。ボン教徒は呪いを掛けあう。
            秘訣部第23章。伝染病の章

ボン教徒による呪術の力が及ばずにハンセン病が広がる。
            秘訣部第81章 ハンセン病の章 

tibet_ogawa104_1絵解き図に描かれたボン教徒
呪術によって雹を降らせている図

このように四部医典が成立した時代にはボン教徒が呪術集団として特別視されていたことがわかる。

tibet_ogawa104_4リウマチに処方されるレテの丸薬

また、四部医典の中には、ボン教が栄えていたシャンシュン王国(紀元前~634年)の言語(これはチベット語とは異なる)に由来する単語がいくつか用いられているのも興味深い。レテ(蔓性の植物)、ヘーサム(粉薬)、シェム(リウマチ)、ヤマ(花粉症や偏頭痛を伴うチベット独特の病)である。もしかしたらシャンシュン王国ではレテという薬草が特産であり、医療は細粒薬が主流で、人々はヤマという偏頭痛・蓄膿の病、ならびにテムというリューマチに似た病に悩まされていたのではないか。そんな空想が膨らんでくる。実際にメンツィカンではリウマチの病にレテを処方することが多い。

このように現在は少数勢力となっているがボン教ではあるが、ボン教の流れを汲むアムチ(チベット医)こそが古代チベット医療の秘術を保持しているとも言われており、チベット本土の一部地域ではボン教のアムチが活躍しているという。

実は僕も短期間ではあるがボン教のアムチに弟子入りしたことがある。それはメンツィカンに入学する前の2000年のことで、まだチベット語も十分に話せなかったことから医学の教えを教わるには時期尚早だったものだ。問答の際に踏み鳴らす足で、お寺の床が抜けるのではないかと心配されたくらいに気合十分の師匠は、その呪術というか気合を用いて、何年も子供ができなかったオランダ人夫婦を身ごもらせて現地オランダの新聞に大きく紹介されていた。師匠は一時期、マナリの街で(第13話)で開業されていたが、今は引っ越されて音信不通である。チベット本土アムド(青海省)のボン教寺へ帰られたのかもしれない。

tibet_ogawa104_3ボン教の医学書ソーリク・ブンシ

そういえば、当時、なにやら古い教典を見せられては「これには秘術が記されているんだ」と語られていたものだった。もしかしたら、あれがボン教医学の聖典「ソーリク・ブンシ(四十万医学教典)」だったのだろうか。四部医典が成立する以前から、すでに存在していたともされる幻の教典である。

その後、僕はこの医学教典をずっと探し求め続けていた。ところが灯台下暗しとはこのことだろうか。つい先日、2011年3月にダラムサラの亡命政府図書館内で写本を見つけたのである。早速、目を通してみる。うーん、構成は違うけれど内容はほとんど四部医典と同じだ。しかもチベット語に翻訳された物だけで、シャンシュン語による原典は存在しないことを考えると、シャンシュン起源説は弱くなってしまう。しかし、四部医典が8世紀に伝わる以前の純然たるチベットの医学の何たるかを伝えているかもしれないし、もしかしたら四部医典の成立によってその過去に蓋をされてしまっているのかもしれない。それが、果たして人類の幸福に繋がる素晴らしい知恵ならば、その蓋をめくってでも学びとりたいものである。その探求の際には、このレテという薬草が古代シャンシュン王国に繋がるキーワードになるに違いない。

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