第120回●ダンニャワード ~ありがとうインド~

tibet_ogawa120_3プラタナスの木の下にある家
ダラムサラ・バグスー村

1999年、マクロードの中心街から少し離れたインド人の村バグスへ友人と散歩に出かけたときのこと。山腹に1本の大きなプラタナスと石を積み上げただけの簡素な家がポツンと佇んでいるのを見つけ、その美しいコントラストに心を奪われた僕たちの足は自然と木の下へと向かっていった。空にはトンビが舞い、眼下の渓谷ではお坊さんたちがエンジ色の僧衣を洗濯している。すると、その家からおじいさんが出てきてチャイを飲むか、と身振り手振りで示してきたので、笑顔でイエスと答えると何故か山の中へと消えていってしまった。そのまま40分くらいは経過しただろうか。「牛の乳を搾りに行っているに違いない」などと冗談を言い合っているうちに、なんと腕にいっぱいの薪を拾って帰ってきたのである。それから目の前で火を起こし、灰がたっぷり混ざったチャイができたときは1時間も経過していただろうか。おいしいか、おいしいかと語りかけてくるおじいさん。そうしてプラタナスの木の下で時が緩やかに流れていった。

2000年、南インドのウーティを旅したときのこと。ローカルバスで移動していると森の中から「バキバキ」という音が聞こえてきた。そちらの方向に眼をやると、なんと大きな象が闊歩しているではないか。生まれて初めて出会う「野良象(のらぞう)」である。ところが「すげー!」と感動しているのは僕だけで、地元のインド人たちはまったく見向きもしない。その事実にこそ「マジで、すげー!」とさらなる感動を得たものだった。

tibet_ogawa120_2元気いっぱいのインド人学生
(手前は日本の知人です)

2002年。メンツィカンの前に携帯電話の電波塔が建てられることになり、その工事で騒がしい日が続いていた。そんなある日、頭上を見上げると鉄塔の上でインド人の作業員がターザンごっこをして遊んでいることに気がついた。命綱などどこにも見当たらず、落ちれば即死は間違いない。いったい貴方がたの死生観はどうなっているのか、質問したところで無駄なことだろう。仏教経典や啓蒙書を読んで死について考えるよりも遥かに、生きることについて深く考えさせられる強烈な光景だった。


2006年12月、日本へのフライトの前日、早朝6時半ころ。溶けるような太陽に見惚れつつデリー郊外にあるリキールハウス(第112話)のまわりを散歩していると背後から「シュッ、シュッ」と紙が空気を切る音が聴こえてくる。なんだろうと思って振り向くと、なんと新聞配達の少年が自転車に乗りながら新聞をマンションのベランダに投げ込んでいるではないか。1階、2階と器用に投げ分けている。その姿が真っ赤な太陽とマッチして、この上もなく美しい。新聞が空を飛ぶ。僕の既成概念を打ち破ってくれた風を切り裂く音は今も鼓膜に鮮明に残っている。

tibet_ogawa120_4デリーの雑踏

そのほかにも、ヘッドライトをガムテープで押さえて走るタクシーやフロントガラスのない高速バス、12人も詰め込んで走る普通ジープもインド感動大賞にノミネートされている。こんな意外性を伴う感動こそが硬直化したDNAに変化をもたらし人生を豊かにしてくれるのではという仮説を僕は立てている(第71話)。情報を先回りして得られる現代文明社会においてDNAに変化を及ぼすような劇的な出来事に出会うことはすっかり少なくなってしまったけれど、ここインドでは素朴な驚きに数多く出会うことができる。

2011年12月、妻との新婚旅行を兼ねて久しぶりにダラムサラを訪れたときのこと。最寄り駅のパタンコットに到着後、はやる気持ちを抑えきれずにタクシーに乗り込むと「ダラムサラまで」と恰幅のいいインド人ドライバーに告げた。するとドライバーは前を向いて運転したまま「チベッタン・ドクター、今回は仕事できたのか?」と親しげに話かけてくるではないか。「え、どうして僕を知っているの……?」と戸惑う僕に、彼は身を乗り出すように後部座席を振り向き「俺の顔を覚えていないのか。メンツィカンの近くにあるチャイ屋にいつも来てくれていただろう。いまは店を嫁に任せてタクシードライバーをやっているんだ」と満面の笑顔で教えてくれた。「あ!」と驚く僕。そういえば、メンツィカン在学中、試験勉強の疲れを癒すため、こっそりと寮を抜け出しては、頻繁にインド人のチャイ屋に足を運んでいたものだった。この店にはチベット人がほとんど訪れないので1人だけの時間を過ごすことができる。店の隣の牛舎から漂ってくる堆肥の香りに包まれながら飲む濃厚なチャイは、まさにインド本場の味だ。

tibet_ogawa120_1チャイ屋の離れにある部屋でくつろぐ筆者
2011年12月

そうしてダラムサラまでの3時間の道中、話が弾み、流れのまま彼の自宅の離れにある部屋を借りることになった。「俺は信頼できる人間にしか、この部屋を貸さないんだ」という言葉に「そうか、自分はダラムサラに10年間も暮らしていたんだ」という実感が改めて湧いてきた。そして、チベットの異文化の中で悩みもがいていた僕を、そっと静かに見守っているインド人がいたことに気が付いた。感謝。

インドは僕にとって第一印象がけっして良くなかったけれど(第21話)、住めば住むほど、訪れれば訪れた回数だけ、その魅力が増してくる。そうしてインドを愛するDNAがオンになると、ますます素敵な出会いがめぐってくる。多様な文化、人々、自然を包みこんでいる豊かな国に10年間、住めてほんとうによかった。ダンニャワード、インディア(ありがとう、インド)。

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